批評しましょ[514]
11/25 18:53
石川和広

僕も春樹作品を読んでいたのでケムリさんの『詩人の飼い方』には少しどっきりしましたが、ポイントはいれませんでした。
僕は詩人であるとかないとかをゲーム化して茶化すのには少し慎重というかあまりつっこまないようにしています。あまり精神衛生上楽しくないからです。というか、そういうゲームはのれる人とのれない人がいて当然なのです。ケムリさんの答えをみていてもそういうことはわかっていらっしゃる。
だから単なるいちゃもんつけよりも、素直にのれないといえばいいので、その点は田代さんはちゃんと書いていますから、えらいと思います。
でも僕は田代さんのようにストイックでもなく、詩人の使われ方がどうあろうが、そんなもんだろー関係ないと思うので。そういうわけで詩人めぐりゲームには関心がありません。というか、自分の実存にそれらをひきつけません。詩人であるかどうかは、対自的な規定と外からの規定の混ぜものだと考えていて、詩人と呼ばれるとしても、誰からどんな風に呼ばれるか、好きな人に呼ばれてどう思うかに敏感です。
個人的には、詩を書こうとしている人が詩人だが好きなのだけど、こう私も含め沢山の人が詩をかくと、これも何だかなあと思います。
とにかく、私も田代さんとは理由がちがうけど詩人めぐりゲームにあまりのれません。
作品に関しては、あまりいうことはありませんが、どことなく三十歳以降を言及できないとしている点が、ケムリさんの他の論争をみてても弱味だと思います。
それと、飼い方となっていますが、覚めていえば、飼う必然性が感じられない。そういうところは、一切省いて勝負してるので、それはいいですが、こういう書き方は、書き手の本人の想像力を小さくしてしまうと思います。もっとたくさんのゲームの参加者の在りように目を凝らせば、もっと深刻な問題がでてくるだろうし、飼い方というレトリックは変更を迫られる現実に書き手が誠実であれば、今後出会うことになるでしょう。逆にいえば器用貧乏になるか、素晴らしい書き手になるか瀬戸際の作品ともいえるわけです。
長文失礼します。
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