批評しましょ[495]
2005 10/25 01:14
田代深子

詩人の飼い方/ケムリ
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=51717

 これは批評と言うより批判、いやいちゃもんになるだろう。しかも作自体でなく、その根本というか周縁というか、とにかく〈詩人〉という言葉にいつも引っかかってしまうわたし自身の憤懣の吐露になるやもしれぬ。だからケムリ氏のところで感想として書くのはどうかと思われ、かといってこのスレッドで書くのも剣呑かと感じるのだが、ぬぬぬ致し方あるまい。
 この作の主眼は〈詩人〉とは何者であるかという話で、いわゆる〈詩人〉イメージが的確かつ非常に諧謔的に記述され、贔屓目少なく喝破する痛快さによって多くの支持を得ている。文章もこなれたものだ、たいへん面白い読み物として成功していると言えるだろう。ケムリ氏は物のよく見える頭のいい書き手であろうし、それを明確にポイントする・感想を書くというやり方で支持した本フォーラムの読者達も文を楽しむということを知っている。
 だが裏を返せばこの事象は、両者が自ずからを「〈詩人〉である」と認識したうえでのおふざけというか、結局は自己言及を余裕のよっちゃんでやってみせ、それをやんやと讃えたにすぎない出来事なのだ。みんな自分を〈詩人〉だと思っていて、その自分を他人がどう見ているか、言われたいし言い合いたい。「自分のことを言われたいし言い合いたい」という欲求はわかる。わたしだって自己言及したいし他人からの評価はとても気になるし聞きたい。だがわたしが如何ともしがたく眉根を寄せてしまうのは、みんな自分を〈詩人〉として言われたい/言われていると思っている、という一事につきる。〈詩人〉? それが、ケムリ氏の書くような通俗的〈詩人〉スタイルとして規定されるものとは、当のケムリ氏こそ露ほども考えてはおらぬであろうし、支持した読者達も思うまい。だがいささか自分に似通うところもあり、何より自分は〈詩人〉なのであるが、そのように他人に見られる者なのか、ははははは、笑ってしまえ、なる態度。〈詩人〉?
 むかしむかしから詩の集まりなどで公言しているのであるが、「自分は詩人である」とわざわざ名乗る人を、わたしは軽んじる癖がある。そんなやつに限ってろくな詩を書かないという状況を、多く見たからだ。そも〈詩人〉なる存在は、職業なのであろうか、人格的類型の名称なのであろうか。詩に集う多くの人は言う、「詩人と名乗れば詩人」…職業でも人格でもねーじゃねーか。〈詩人〉は自己規定による存在というわけなのか。だとするならば、ケムリ氏の書いたあの愛らしい〈詩人〉像もまた自己規定となる。〈詩人〉たる者かく在るべきだ、エンジョイ〈詩人〉ライフ、と。そうなのだろうか? では、詩は、〈詩人〉の存在の前提となる、〈詩人〉に対しアプリオリに存在しているはずの、詩は、どこにいってしまったのか。
 わたしに言わせれば〈詩人〉などいらぬ、詩があればよい。詩に集う仲間も自分も〈詩人〉である必要などまるでないし、それぞれがそれぞれの性癖と問題を抱えながら、詩そのものを深く考え、愛すればよい。詩に集う、詩を好んで読み書きする人々の、ある種の傾向を検討するのは面白い試みだが(実際、言語に対する感覚の過敏さは、社会性やコミュニケーション能力に大きく関わるから、ケムリ氏の書くような特徴はよく見られるであろう)、それらしい〈詩人〉が〈詩人〉をちやほやし、詩が不在であるゲームなど、わたしには容認しがたい。
 と、いう言わずもがなを、言いたくなった。言っちゃったよ、言わなきゃいいのに。
 まぁ、いろいろと違う考えの方もあるだろうが、わたしはいつもそう考えているのである。
スレッドへ