批評しましょ[438]
2005 04/12 20:15
ひかげ

1.性的メディア内の表象は現実の等価物ではない独立のものであり
2.それは当該モチーフの現実化を助長するのではなくむしろ抑制し
3.法的にも保護される正当性がある
という主張をする文章の例

http://www.miyadai.com/message/?msg_date=20030502


1.性的メディア内の表象は現実にそれが行われていることに等しく
2.それは当該モチーフの現実化をも助長・追認するがゆえに
3.法的に規制されないのは心外である
という主張をする文章の例

http://www.app-jp.org/voice/2002/02.04.17.html
>>380


 こうして比べてみると、前者が資料と統計、合理性に基づいて論理が大局的に構成されるのに対し、後者が呪術的連想とレトリックによって情緒が性急に噴出されていく、というはっきりとした対照性が見て取れる。後者のタイプというのは必ず、呪術的になる宿命を負っているらしい。
 なんでかというと、要はこういう種類の言説というのは、“不安”を教義とし、“子供”を傀儡の教祖として、社会現象の因果関係を独自のやり方で短絡するフィルタリングの儀式により、ローカルな<内/外>差異をつくって安心する、という一種のカルトなんだな。自分達ではそのことに気づけないわけだが。
 で、こういう場合、その本人達が「良かれと思って」いればいるほど恐いわけだ。教義のためなら人権なんかポイだ!という傾向を必ず帯びる。そういう態度が善意の形をとって満ちていく社会は恐い。

 無論、現実の児童虐待やレイプは絶対に許されることではないが、それらの近似を含む欲望をヴァーチャルなメディアで融通すること、もっと広く言えば、人間がすべからく倒錯的な欲望を交易して生きているしこれからも生きていく、ということを受け入れるだけの共感の筋肉を切り捨てるのであれば、けっきょくこの世にはできるだけ面白そうなものは無い方が良いということになり、それは子供に受け渡す未来の社会像として凄くダメだろう。

 また、もっと具体的な話として、ヴァーチャルな性的メディアの規制や社会的監視・警備の強化といった主張が、"むしろ逆に"性犯罪を増やしてしまうメカニズムのシミュレーションが社会学や哲学の方面から提出されており、子供を大切にしたいならそういう理論にも通じていなければならないだろう。

 五月さん、本気で子供たちの未来を語るんだったら、子供や女性の立場を盾に自分個人の情緒的噴出だけを垂れ流すのではなく、もっと真面目に理屈を勉強しなさいな。今までの五月さんの一連の言動こそが、子供や女性を自分の都合の良いように“消費する”ということに他ならないということ、それに気づくだけの合理的な知識を身につけてください。
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