08/06 20:10
一番絞り
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『ひとふさの乳房を』有井いずみ
>批評するんなら大向こうを相手にしなきゃ
というご発言を受けて、大村さんの知り合いであるらしい会津の和合亮一さんと親しいとかいう
有井いずみさんの詩をちょっと、おさわり批評。
ま、これぐらいのひとの詩になると、正直言って歯が立たない。
ま、だれも歯が立つ人はいないだろう。
それは当然であって、「現代という高度に複雑、かつ困難な状況が
その時代にふさわしい呼吸法に向けて現代詩の書き手を圧し出している」のだとすれば
この書き手は、まさしくその最先端にいるのだから、
その表現は、だれもにも届かないコトバにならざるをえないのだ。
大昔、どこかの高山の単独登頂に成功した登山家の航空写真をみたことがあったが
尖った頂上にしがみついた登山家は背に酸素ボンベを背負い、酸素マスクをしていて、
顔もみえなかった。
「現代」詩の表現の最先端によじ登って、しがみついている詩人の姿も、それにふさわしく、孤独で厳しいものだ。
さて、歯が立たない詩をどうやって批評するか。
まず、断っておくがわたしは、最終学歴は中卒である。
また、四十の声を聞くまで詩には縁がなかった。読んだことも無い。詩誌にいたっては今日までいっさい読んでない。
読んでもわからん。
そんなわたしが急に詩に目覚め、詩を学びたいと思って大阪にある某文学学校詩クラスの門を叩いた。
詩について何事かを教えてくれるかと思ったら、いきなり、あたまから合評である。
何も知らないわたしは、だからこそ徹頭徹尾、知ったかぶりで通した。
意外に、これは功を奏したかもしれない。
結局、この学校に三年ほどいて詩の研究科にまで進めた。研究科は日高てるさんが先生をしているクラスだった。
生徒はといえば、今から思うと、そうそうたる面々だった。
鮎川信夫の最後の弟子といわれる、あの川上明日夫までが生徒の中にいた!
川上明日夫はわざわざ電車で北陸から授業に通っていた。
まったくの素人、出鱈目なてんぷら学生はわたしひとり。
ま、その中に今回取り上げた詩の作者、有井いずみさんもいたわけだ。
正直言って、日高てる先生も有井さんの詩にはお手上げだった。
皆目、読解できない。
さて、ど素人、中卒、ど無知のわたしは徒手空拳で現代詩の最先端の詩編を、どうやって
読み解けただろうか?
読み解けなくとも、どうやって、それらしく振舞えたのだろうか?