批評しましょ[19]
08/06 14:06


山田さんによる批評への拒否について。

 数日前、山田さんは大根切りスレにて私の詩を批評し、それを私が未詩だからという理由で拒んだ。この「拒み」にはそれなりの理由があって、本来なら拒むべくも無かったろうが、そうするに至った経緯をここに記載する。今更ですが、御容赦のほどを。

 以前ニューススレにおいて、一番搾りさんが私の詩を私憤から糾弾批評してやると宣言した。これに対しては複数の方々が非難や難色、嫌悪を表明した。しかし、ただ一人、山田さんだけが、彼を援護し続けていた。非難や難色、嫌悪等は一切表していない。
 そんな山田さんは、ニューススレにて私に「詩人としては絶交だから俺の詩は評価してくれるな」とまで言ってきていた。己ずから関係を絶っておきながら、何故、私の詩を批評し始めたのか。そこに私憤が一切無かったと、誰が言い切れるだろうか。(ちなみに山田さん、唾吐き行為に対する謝罪が無いので、私のサイトへの書き込みが禁止されていることも、付け加えておく。)
 彼は、ニューススレとは無関係だ、それは被害妄想だろうと連呼する。しかし批評の中には、しっかりと「天皇→権力」という読みが出て来ていて、それをニューススレと関連付けて考えることは非常に容易である。勿論、彼は、これを批評に絡めて行っているが故、それは証拠にはならない。「批評を利用しての合法的な思想糾弾」だと判断するか否かは、まさに人それぞれ。非常に微妙で曖昧な問題となる。まさに、一番搾りさんが「やるぞ!やるぞ!」と連呼しておきながら実行に移せなかったことを、彼は見事に実行して見せた、と言えなくもない。(ここ、重要。だからこそ、構造さんも「どうしようもない」旨の発言をしていた。)

 これを回避する為に、私は「未詩」という言葉を持ち出した。
 今、彼が私の詩を批評する中で、そこに思想を絡めた発言をしようものなら、それが私憤によるものなのか、演出によるものなのか、の違いは誰にも分からない。
 ということで当分の間、思想に繋がりそうな詩はフォーラムにおいては「未詩」として発表することにする。
 合法的な私憤・糾弾行為に見えなくもない批評を、回避するが為に。(場違いかもしれませんが、大根切スレでは削除対象となるかもしれない故、こちらにて記します。御理解戴きたい。)

 詩への批評がどのような形態にあっても構わないが、個人的な私憤を含むものであってはならないと思っている。その可能性が顕著な場合において、これを回避することでその行為が防がれるのであれば、これは為されるべき事なのだと思っている。(ちなみに、過去に私個人の日記において「最初は批評を認める気でいた」と記していた。一転して、そうじゃなくなったのは、最初のレス以降の彼の発言を読むにつけ、より私憤等である疑念が深まった為である。)
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