批評しましょ[163]
2004 08/20 16:05
有井いずみ

大きなお世話で言うと、
詩の最終行に「と思う今日この頃であった」という一行を付加すれば、石畑さんのも、ほかの方々のも、単なる感情吐露、事実や風景の過剰描写なのだから、日記の1ページよね。
川元さんが言うように、世界と当たって、新たな発見や認識をコトバにしたものや展開にしたものではないものね。コトバも立たない。発見も展開もない。
詩だと思ってまことしやかに、しかも偉そうに評論とか批評をしてるって、息巻いてるのおかしいね。わたしもこれをどういうつもりで書いたのか、聞いてみたかったわ。もう聞くつもりはないけど。
詩の最終行に「と思う今日この頃でった」という一行を付加して、成り立つものは、詩ではありません。と言っているのは、わたしだけが言っているのではありません。入沢さんも言っているわけ。明治大学の講義やユリイカ投稿欄や、いろんなことで言ってらっしゃるの。。反論があったら、どうぞ真正面からお受けしますけど。それほどわたしもヒマじゃないので、まともな方としかお話するつもりはありませんけど。
批評っ?てゆうか、詩を読みこめない方が偉そうに言わないでほしいのよねぇ。あんたたち、それぞれの自閉の地平で、世界と当たって、触ってみて、コトバにならないものをコトバにしてゆく格闘や思考を続ける姿勢がみられないわ。その姿勢がない限り詩人とは言いません。あんたたち詩を書く行為においても批評する上においても凡そ社会の隔絶したところの世界で、地に足がつかないままね。ウラサビシイ話だわ。また、もう一つしつこく、踏み込んで言うと、
歌うことと、詩のコトバを書く行為は根本的に異なります。敢えてどれも詩だといってかまいませんが、既視感のある退屈なコトバ、世俗に塗れたコトバ、韻律に支配されたコトバ、よね。わたしたちは、もっとわたしたちの言語を解放しなければならないはずです。それが近代以降の詩の歴史でもあったはずでは?そういった意味では、
一番搾りさんの言ってらっしゃる「権威とか権力」というのは、コトバが既存の規範の体系から解放されない不自由なものであることを言いたいのでしょうね。その自由を獲得するためには、ちょっと、あんたたち、命がけなのよ。ま、言っても、多分、認識できないわね。コピーライターのコピーみたいな詩だと称する詩や、オバカなタレントが余技に書いたような歌詞のような詩を詩と称するのを、まともな詩論や比較文学的手法で批評できるわけないじゃん。それらは文学の対象ではなく社会学の対象ね。
みなさん、わたしたちもっとお勉強がたいせつだわね。
スレッドへ