批評しましょ[136]
2004 08/19 15:28
一番絞り

石川さん、わたしの>>117の発言は講師の授業方法を否定しているのではなく
そのやり方が単にわたしにとって苦痛であったことを、次の何故? につなげる
ために事実を叙述しているだけであって、どこにもあの講師のやり方を批判した
部分はありません。
また、有名な過去の詩人の作品が「すでに書かれてそこにあるもの」「死体」と
比ゆしたのは、その「場」での、有名過去作家の作品の位置づけです。
その「場」というのは、せっかく呼吸をして今、ぼくの目の前に生きている
他者という不思議な存在があるのに、それを無視する手はないという意味です。
それに比べれば有名過去作家の作品が「死体」にみえるといったのです。
ちゃんと読み込んでいけばわかるはずで、あとでこんな解説をするのは
つまらんのですが、またぞろ、だれかから逃げたとかいわれないようにと
思いまして。もっともなんといわれても構いませんが。しつこいのは困る。
家に帰って、暇なときに個々人が好きな詩を読めばいいと思ったのですよ。
あの学校は、そこらの大学や専門学校みたいに受験のためのチシキをえるため
あるいは、卒業してどこかに就職するため集まるところではないのですから。
血の流れている見知らぬ他者と面付きあわして「生きること」を交換できる、
そういう時間と場がたもたれている、
わたしにとっては大事で貴重な「場」だったということです。

そういう固有の時間と場においての有名過去作家の作品の位置づけです。

いつも「死体」と、とらえているわけではありません。
たとえば、ふだん、暇なときには山本太郎なんかを読みますしね。
ただ、あなたがあの文章を読んで講師批判だと解釈するのは自由です。
自由ですが、あなたには単調な読み取り方が目立つような気がします。
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