批評しましょ[130]
2004 08/18 21:36
一番絞り

つくづく批評するというのは怖いものだ。
おのれのアホさ加減がぜーんぶ出てしまう。
等身大のおのれが、すっぽんぽんになって、あらわになる。
そこが詩や詩論と違うところじゃなかろうか。
薄みっともない裸をさらし、人さまに笑ってもらう覚悟がいる。
わたしの場合は、批評なんてものじゃない、批評もどきだが
恥じ知らずに書いている。
それでも、ときに赤面することしきり。穴に入ることしきりだった。
そういう意味で批評をしたOhatuさんやボルカさんは勇気があると思った。
内容はともかく、その度胸には心底、賞賛を禁じえない。

小生は吉増剛造、読んだことがなかったので今日のお昼買ってきた。
『吉増剛造詩集』(ハルキ文庫)。760円也。ブックカバーは付けてもらわなかった。
「付けますか?」なんていわないで「できれば付けたくないんですけど」と言えばいいのに。
おれはやさしいのだ。相手のいわんとするところを酌んであげる。
「頭脳の塔」の「朝狂って」を一読。「合わない!」と思った。
ぼくの趣向とはまるで合わない。ぜんぜんつまんない。意味もわからん。
味もそっけもない。これを批評するとすれば、これは大変だぜ。
うっとおしいぜ。
ただ、あれだな、すぐにピンときたのはこの人の孤独は精巧にできた
作り物の孤独だなってこと。
それこそ詩篇の表題とおり「頭脳の塔」だ。頭によって精密につくられた孤独だ。
こんなものは、もう、うんざり。
戦後、偏差値教育、受験システムの申し子たちによって量産されてきた詩に
表現を競いあった作り物の孤独や絶望や夢や反戦などがある。
もう、いいよ、って感じだ。
これに比べると中原中也なんか、ほんとうの孤独の中にいて、
シュールだけど人の心をつかむ詩を書き、それゆえに、ふつうの読者を獲得したのじゃなかろうか。
よくわからんが、そんなことを思った。

吉増剛造詩集、ひとつ効果があった。数ページも読まないうちにうとうとして
ぐっすり昼寝したことだ。いや、夕寝か。
スレッドへ