2004 08/17 13:46
汰介
例えば、何か物を動かすとして、それが位置の問題で見れない(笑)。
感情で見てしまうとか(笑)。
こう言う風に動かすと、何処かの知らん誰かの動作に伝わって怪我をさせてしまう、と言う風に(笑)。
んな事考えてたらそりゃ動けんわな(笑)。
実際仮にそうだとしてもよくよく考えりゃそれは俺の責任は一切無い訳だ(笑)。
大体知らん人間の責任まで取れるか(笑)。
もしそんな事に言いがかりつけてくる人間は、変態決定をわざわざ自分で証明してる様なものだし(笑)。
そんな奴いたらそれはそれで凄いぞ(笑)。
ある意味樹海詳細地図作っているみたいなもんだな(笑)。
クイズ
一体(笑)は何個あるのでしょう?
A.10個
よし、追加。
何故なら、例えばまた角度を少し変えてみるがその感情と言うのは、ただ単に個人的傷や感情を他者にこうであってほしいと、無意識的にまたは意識的に、依存的に縋っているからである。
それは、上記の様な発言その物を「冷たい不感症」的にとる。
いや待て。その感覚自体が何時までも堂々巡りをさせる実体でもある。
言葉の節々、音、刹那的な物に過剰に反応してそこに感情を読み取ろうとする行為。
それを冷たいと言うのならば、その「感情」と言う物はその感情自身がもつ何かしらの罪悪感を何かに擦り付けようとしている事になる。裏返しの壊れたプライドのような物。
大体こう言う物は性欲と結びつきやすい、はず。
て言うか、誰だこれ(笑)。
何かの感情の印象についての描写と批判めいた対話、とでもしてみるか。
更に更に。追加。
更に上記を見た時に、自分個人について言われたのだとピン、とくる事。
この事自体が既にある種の感情の罠に嵌っている状態にある。
普遍性の落とし穴。
感情で見る時に、必ず何らかの感情で見る事。自分個人と他者の差異について目を向けず、境界がないと錯覚する事。
実際その感覚がいかにリアルであれ、それは、一部の理解可能な都合の良い共通点のみについての感覚である。繋がってないと気がすまないし、しかし、それは都合の悪い部分にも繋がる事であり、破綻すれすれの感情へと行き着く。
都合の悪い部分との落差は激しく、それが粘液のように絡みつき、苦しさ、ストレスになる。
上記が理解不能な場合は、それはある大きな感情や空白といった物である感情を押し潰し覆い被せる、と言う事だろうか?
よし、追加。
結局、これは「愛」の一つの描写らしい。
要するに、この「感情」の波に上手く乗らなければまあ、「恋愛状態」にはならない、と思う。
何時までもその対話は永遠に終らない。
まあしかし個人的感情で見る限りは「愛」にもなるし「鬱陶しく」もなるし、
これは、その時の気分に反映される。肉体=精神的な考え方に基づく物なのか?
この差異の違いに気が付かない限りは自己の内に「多分にナルシスティックでエゴな自己愛」を認めなければならない。
が、その使い分けが上手ければ、問題もない。
しかしこの差異は、肉体の衰えや不安、コンプレックスによって気付かされる「精神性」なので、これも裏返しの「自己愛」でもある。
わーい、結構ほどけたくさい。
そして。追加。
結局これは、一度に過剰な情報量を一緒くたにまとめて言おうとするから、
どこかで、矛盾が起きる、と言う事か。
まあ、現実にはそんなヒマげな事はやってられんが、
しかし、結局それは、無くなる事は無く、自分自身に肥大化して跳ね返ってくる、と。
これが、例えばヒステリーとか、キレル、と言う状態なんだろう。
展開の仕方の違い。