08/08 00:41
汰介
ああ、そうそう。
女が、男の感覚で馬鹿にされている様に感じる時の、冷たい「フウーン。」
をある流れで言った時に、まあ、コップでもなんでも良い、
それを絶妙に即喧嘩にならない程度の強さで、ゴン、と音を立てると、
しばらくは、極悪な空気になります。
試して、酷い目に会いました。まあ、よくよく考えると、
表面的にはコップを置いただけに過ぎないのですが。
音量にしたって、大した事はない。
その心理的状態によって、同じ強さのコップの音でも影響は違う。
まあ、何やかやと言って、表向きであろうが、背後に隠して証明出来なかろうが、
ヒステリック(俗な意味での)は喰えない。
例えば、これに対してむかつく人間は、大概結局は依存的な人間ではないか?
と、見ている。
そう、これを、揶揄と見るか、一般的(のつもり)見地と見るか、
この視点の違いは、実は、気が付かないと永遠に気付かない。
気付いても、飲み込まれる事もある。
この、「飲み込まれる」がポイントなのだ。
言い所、タイミング、口調等によって、それが量られる、と見た。
つまり、こう言うある意味「政治的」な物を漉して、残った物がなければ、
つまりは、ただ単に、その人間は負けず嫌い、と言う事になる、と見ている。
要するに、詩は実は、どうでも宜しい、と言う人間である。
別にそれでも構わない、とも私は、思う。
結果、そこから生み出された物が「感銘」を与えれば良いのである(勿論、何らかの感心する様な、飛び抜けた)。
理想ではある(まあ、男しいては私個人の勝手な理想ではあるが)。
よって、こう言う文章を見て水面下でムカツコウが、構わない。
ただし、心底そう言う物を越えて納得、若しくは騙しきる様な代替する物でなくては、
どんなにムカツキを表そうが、一向に私の場合、ピクリともしないであろう。
と、最近まで思っていたのだが、まあ、そんなこと言っても、不毛である事にようやく気付いたので、取り消し。これは言った上で取り消さなくては、意味がないので。一応。
これが、私の「破壊主義的」な核。自分でも抑制できずに思わず書いてしまう悪い癖の集約された物。これを、いかに自分から引き剥がすか。
これも課題。