2004 08/27 22:26
石川和広
>>88 僕は、ねこぢるさんが、なくなった当時、あまり詳しくなかったけど、テレビブロスに日記を連載されてて、ある日、梅田の地下の売店で、ブロスをめくったら、突然おわっていて、なんかさみしいなと思ったことや、地下街の人並みをよく覚えています。
山野さんは、クイックジャパンという雑誌でインタビュウが出ていて、まったく別に知りました。彼は、大気汚染地帯で育ったということや、不良にも、まじめグループにも、はいりたかなかったと言ってる所を見て、なにか、郊外の町で育ったものとしては、妙に、
真実味を感じました。
ぼくは、わるくなるのも、怖かったし、学校休んだら、どうしたいいかわからんし、で、こつこつ通っていたのですが、、
東京の芸術家たちのことは、ぼんやりとしか、関わりがないんだけど、だから、奥主さんの話は、何か、ぼくの知らなかったことを、おののいたことを、埋めてもらっている感じがします。
同時に、自分が、それに近い場所にいたら、たぶん違うかなしみを持つだろうとも想像しました。
距離って、こわいなあと思う。
パノラマガールが好きなのは、死のことより、退屈ってことと、恋の関係が、かわいく描かれていることです。これも、近所のブックオフで買ったのですが、、
僕がコドモの頃、驚いた絵本は、「長谷川君きらいや」という森永砒素ミルク事件で、障害を負った子の、そのマヒした姿を見る子供の直截なまなざしを描いたものです。
僕にとって、障害というのは、何か近しいものでした。もしかしたら、色んな物語は、障害という固有の生きがたさと、現世との葛藤を描いたものかもしれない、そう思ったこともありました。
障害と呼ばなくても、なんか、オカシナ人というのは、いつの世にもいて、それに対する
ある愛と遠さの形ではないかと、物語は。なんか、中上健次みたくなってきたな。
でも、実際、最近は、統合失調症の友だちも、何人か出来たので、みじかかな。
だから、大泉実成のルポで読んだ、山田さんの、末期の様子は、目に浮かぶようです。彼女は、病が進行しても、書こうとしていた。
彼女は、自分は、わかりやすい問題児でなく、裏問題児だといっていました。ここには、自分にとっても、切実なものがあります。もちろん、あの方と、同じな訳は全くないのですが、それどころか、わたしは、何の問題もないのに、何悩んでるんだろうと思うわけですが。それでも。