2005 01/30 10:45
汰介
やや、楽しげな展開になってる(笑)。
春祭もよくよく見ると、多調だったり、ロシアの旋律だったり、
オスティナートだったり、一見無調っぽくも聞こえるが、
実は全然無調じゃないんですよね。
機能和声は残したまま、パートごとの時間軸をずらしたり、
複数の調が同時に鳴っていたり。
まあ、適当にそうしてるのではなく、やっぱり鋭い感性が光ってますけど。
前のバレエ2作もそう言う片鱗は見えるんですけどね。
別な感覚で捕らえた方が良いでしょうね。
春祭独特の終始ハイテンションは癖になります(笑)。
が、春祭をやった事によって、
本人の表現の野心的意図以上に、聴衆は大騒ぎですから、
そう言うのを考慮しつつ、
そう言う分かりやすさの中に、一点の新しさを入れたり、
色んな音楽語法を吸収する中で、ストラヴィンスキーの個性を、
打ち出そうとしたのかなあ、とも思いますね。分散型ですね。
「結婚」は一回見ました。ピアノのキーン!が印象的でした。
「アゴン」は12音技法が過渡的に混ざっていて、
ジャンキーな味わいで面白かったですね。
まあ、個人的には春祭みたいなものをそう言う遍歴を経て、
もう一発作ってたら、ざまあみろ(爆)、と言う感じなんですが。
まあ、超越した感じだけが音楽じゃないですし、
生き方としても春祭を作った事にしても、作曲家では珍しく(笑)成功してますよね。
というか、あの時代付近は結構芸術的に華やかな時代ですよね。
今は、新しい事やろうにも、新しい!と思った瞬間に、
後ろから袖を引っ張って「それ、もう使われてるよ」という囁きが聞こえる時代でしょうし、そう言うのを使いこなす位しかないんですよね。
表現自体に革命的な物をもとめ辛い時代ですねえ。
安定的な音楽が求められるのも無理は無いんですよ。一方では。
分からないから冒険なんで、
分かってる事を敢えてするのは、冒険でなく、事務仕事ですからね。
なんか前も似た様な事、言ったような気がしますけど。
まあ、いい音楽は楽譜が美しいには同意。
子供の頃、バッハの楽譜見て、理論的なものは分からないのにも関わらず、
やっぱり、何か違う感じはありましたし。
自筆の楽譜の写真でドキドキしましたからね。
作曲馴れして、崩れた書き方の感じが、世界の広さを感じましたね。