ゲームスレ[2]
05/13 07:12
石原大介

忘れられない雑誌がある。「BEEP」という、ビデオゲーム専門の情報誌だ。僕がゲームセンター通いにのめりこんでいた小学生高学年の時期だから、おそらくもう二十年前くらいの前の話で、確か中学二年か三年生くらいの時に廃刊になったと思う。

二三号毎にその雑誌には付録としてぺらぺらしたビニール製のレコードが付いてきて、そこには当時人気だった「ファンタジーゾーン」「スペースハリアー」「魔界村」「テラクレスタ」などといったゲームのBGMや効果音(!)が収録されていた。テクノカットの純朴な少年はリップルレーザーの音響とかに甚く感動し、その後いろんなゲーム音楽のLPを買い集めたりしたものです。で、しまいにゃあ「コナミ矩形波倶楽部」のコンサートとかへ行ったりも、したなあ(遠)。最近では復刻されたそれらのCDを部屋でひとりかけながら踊ったりなんかしております(涙)。

で、暴露しますが、僕はその雑誌の読者投稿欄の常連で、ゲームの名前を使ったダジャレやアナグラムや回文などのネタを投稿するコーナーのチャンピオンでした(恥)。そういえばフォーラムと同じポイント制だったっけ(燃)。ペンネームは叡智通皇とかいう(汗)。当時のネタのいくつかも覚えている、が、あまりに恥ずかしいのでここではけっして言わない(私信にて応談)。

あのころのビデオゲームは産業として黎明期であったけど、同時に創造的なアイデア爆発しまくりの一大爛熟期でした。僕はゲーセン仲間たちと夢中になって「きたるべき次代のビデオゲーム論」をファンタグレープ片手にぶったりしていたものです。そうそう、いまでもはっきりと覚えているけど、アイレム社の「R−TYRE」というシューティングゲームが出たときには、ほんっとうに悔しくて、地団太踏んだね。なぜって、あの歴史的革命的シューティングゲームのアイデアのほとんどすべてを、僕は自分のアイデアノートのうえですでに発明、展開していたのだから。今となっては短い夢だけども、あのころの僕は本当にゲームデザイナーを夢に見ていたよ。自分は天才だと思っていたし。まあでも、挫折したのがMSX2のベーシックでどうしてもスプライト表示ができなかったからだったりして、実にこれ、失笑もんなのではありますが。

あのころのゲーム業界とか文化って、ささやかなんだけどとても人間的でスリリングなものがあったよ。僕が一番好きだった高田馬場のナムコ直営店「ゲームキャロット」にはカウンターに雑記帳みたいなもんがあって、いろんなゲームの攻略法だとか、永久パターンだとか、はたまたくだらない身辺雑記とか、ゲームキャラのイラストだとか、いろいろ書き込んでみんなでわいわいと楽しんでおったよ。あの時代のプリミティヴで閉鎖的な「熱い」ゲーム文化って、その後のストリートファイター&UFOキャッチャーのミーハーな爆風とともに歴史のかなたへ露と消えてしまいましたよね。

んで、いまではゲーセンはおろかテレビゲームになんぞまったく見向きもしない僕なんですが、あの頃のなつかしいゲーム音楽の復刻CDを聴くと、いまでも胸の高鳴りを抑えられなくなるんです。そこで私は、深夜に部屋でひとり、こぶしを天に固く突き上げてこう叫ぶのです。

しょーりゅーけーん。

って違うだろそれは(爆)

おそまつさまでした。
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