雑談スレッド5[789]
2004 11/09 00:23
斗宿

風さんへ

>平和ボケと言うのなら、戦争ボケも一緒に問題にするのが筋というものだ
それは風さんの仰るとおりですね。
俺はもともと戦争ボケを問題としていた方の人間です。
平和な状態に浸かりきって、それが「ボケ」などとは考えていなかった。
何故、戦争なんてことをせねばならないのか解からなかった。
正直、今も解からないし、解かりたくもないですよ。
どんな大儀があっても、人の命を摘み取ることの重さは変わらないと思っています。
けれど、現実に戦争は起こる。
それも、些細な思想の違いから。どうでもいいような、ちっぽけな理由でも戦争は起きる。

俺は、幾つもの戦争を実際にくぐり抜けてきたとき、自分の無力さがどうしようもなかった。
それだけです。

一介の民間人が、どれ程叫んでも戦争は止まらない。
止めようとするなら、権力を持たねばならなかった。
それはすなわち、他人の命を自分が預かるということに他なりません。
全ての人を救える道があるなら、迷わずそれを選びます。
けれど、現実はそう甘くはなく、ほとんど究極の選択なんじゃないかと思うような選択を幾つもしてきました。
弱いものを助けるために、その他の何人もの人間を見捨ててきました。
見捨てた彼らは素手で機関銃に立ち向かって死んでいった。
彼らの死をどうして忘れることができるでしょうか?
それが良いなどと、それで良いなどと、どうして思えるでしょうか?
俺が引き金を引いたわけではない。けれど、彼らを死地へ向かわせたのは俺なんです。
もっと俺に力があったら、彼らを死なせない道を選べたのかも知れない。
だから、力を求めました。
でも、それは、正しくない道なのかも知れません。

俺は、俺が大切に思うものを護りたいだけです。それがエゴでも。
銃から身を護るために、銃の扱いを知りました。
助けたい者を助けるために、もてる限りの権力を行使しました。
そして、人を殺しました。

実際に自らが、街を歩く子ども達が、大切な人間達が、晒されている危険を知ることなく過ごせたら、どんなに良かったでしょうか。

警戒心なく街を普通に歩けること、砲撃の音を、断末魔を聞くことなく眠れる夜がどれ程素晴らしいか!
目の前で消えていく命を見ずに済む事が、どれ程幸せか!
身をもって知っています。

それでも、俺は疑ってしまう。
もう二度と、一人でも、亡くしたくないから。
安心した次の瞬間に、血しぶきに倒れた友の姿をもう見たくないから。

疑う悲しさを抱えても、戦争ボケだといわれても、
力に力でしか対抗できない現実を、忘れられないのです。

誇りも自尊心も良心も思想もかなぐり捨てて、無抵抗主義を貫いたこともあります。
それでも、守れないものは多すぎた。
血の匂いは、断末魔の苦鳴は、こびりついて落ちることがありません。
無抵抗主義で護れるならそうしよう。
逆に、力でなければ護れないというなら、俺は俺の護りたいものを護るために武力を行使することを辞さない。
人を殺すことも。そうやって、今まで生きてきました。
そうせずに済む答えを、歴史からも体験からも見出せなかった俺が愚者だというならば
誰か教えて欲しい。

どうしたら、奪わずに生きていけるのですか?
憎しみと恨みの連鎖を断ち切れるのですか?
悲しみを感じる時間を許されますか?

俺が怖いのは、平和に慣れた後で、また大切な何かを失う自分自身なんです。
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