雑談スレッド5[672]
2004 09/25 16:07
石川和広

中上が、若い頃飲んでた当時のバーで、ビートたけしも、飲んでたらしい。そこの、下働きが、死刑になった永山則夫だったらしい。

ぼくは、中上と、たけしは、被差別者に対する独特の感性という点では、何か通じるものを持ってたきがするのだ。中上は、柄谷とかじゃなくて、たけしと何かやったら、面白かったかもと思う。たけしの価値観の転倒については、永井均というニーチェ学者が「ルサンチマンの哲学」に書いています。
 二人とも、面倒見がいいよね、柄谷は、党派をつくってる感じがするけど、

「紀州ー木の国根の国物語」という中上の本が、一番面白かった。馬の尻尾を洗って、バイオリンの弦をつくる仕事とかね、彼は、新宮の生まれだったから、しかも、羽田で働いてたから、何か、独特に、世界というものを展望してたのではないかと。山から材木を流して湾で筏にして運んでたらしいな、あの辺りの商売や海運は。
 そして、春樹さんとの共通点でいうと、やはり、書物や情報による支配が、日本の権力の支配形態だと思ってたところかな、中上は、伊勢に行った時に、かつての天皇の何万という書物の蔵書を見て、昔の人々は、これらの言葉に敗北したんだと思ったらしい。
 春樹さんの「羊をめぐる冒険」も、「世界の終わり…」も「図書館奇譚」も、なにか、日本を支配する暗号解読の試みとか、怖さを描いているように思える。
 あと、中上がおむすびころりんの説話の原型は、きんじにやにや、というものらしいことを指摘している。きんじとは、まさしくタブー、禁忌のことと読んで、おむすびを追って行くと禁忌である他界に侵入してしまうという話があって、これは、春樹さんの、井戸物とか、たしか「パン屋再襲撃」のなかに、出口の無い袋小路の中で、異常感覚に襲われたりすることと、なにかリンクしている気がする。

 にやにやは、猫の鳴き声で、春樹さんの話では、鼠は死ぬし、きんじにやにやの歌も、
袋の鼠はという箇所がある。抵抗者の死や、どんづまりをふたりとも切り開こうとするモチーフは二人ともあったんだけど、中上のある種の残酷さの欠如が、逆に言えば、やさしさが、あって彼は戦いはつらかったんじゃッたんじゃないかな。彼は、路地へのノスタルジアをもっとまよいなくうたいあげていたら、天皇制の呪縛にこだわる姿勢から、抜けて
違う形で天皇制を解体する小説が書けた気もする。そのあたりは、深沢七郎のしたたかさみたいなものがヒントになったかもしれない。
 

  ぼくは、大学一年のとき、中上が死んで、なぜかショックだった。ひとりで、紀勢本線に乗って、田辺とかふらふら回ったりしたことがあった。
 とても美しかったことを覚えている。
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