雑談スレッド5[454]
2004 08/10 11:57
一番絞り

>物理学の基本的要素は、「質量」と「距離」と「時間」である。この三つの要素なくして、
>如何なる物理学も成立し得ない。それらは、人間の感覚とは独立して存在するものであり、
>人間の側の事情によって実在したり、実在しなかったりするようなものではない。

あまりにも古典的な見解を拝見して、ちと、くすぐりレスを。
「質量」と「距離」と「時間」ってのはつまりは空間を構成する要素ですわな。
これらがもし、人間の感覚から独立して存在するものなら、いったいこれらの要素の〈意味〉は
だれが付与したのか?
人間の意識がこれらの諸要素に、いま風さんが与えたところの意味を、付与したのでなければ
そもそも空間は空間として風さんに認識すらされない。
もしこれら空間の諸要素が人間意識から離れて独立に存在しているのだとすれば、それらには
人間にとっての意味も機能もない。
人間にとって意味も機能もないものを想定することは、それを想定しているのが人間意識である以上、そもそも不可能である。
空間意識とはそもそも人間意識が決定する意識であって、本来、人間意識を離れた空間なるものは
わたしたちには認識不可能なものなのだ。
花なるものはないし、木なるものもない。
具体的には、わたしの目の前の窓辺にあるスミレの花、あるいは裏庭に朽ち果てた銀杏の木があるだけ。
あるパラダイムの中では確かに、風さんの挙げた空間要素は定量的関係においてだれの目にも客観的な結果を
産み出す。しかし、それさえ、実験を観察する人間意識によって確認されなければならない。
つまり「それらは」人間の事情によって初めて存在するものであるともいえる。
コンピューターは定量的関係を数式処理するとき0-1の複雑な組み合わせによって表現するが
コンピューター自身は0-1の複雑な組み合わせに〈意味づけ〉はできない。
結局、それらの数値に意味づけするのはそれを液晶画面で眺めている人間である。

ただ、以上の発言を独我論と勘違いされても困る。
主観と客体というような二項対立を乗り越えた、つまり、空間的要素も人間の感覚も一体である
そのような認識論でなければもはやどうにも行き詰っているてことを指摘したい。
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