08/01 09:44
紀ノ川つかさ
おお山田氏! こっちに批評がありましたか。
実は「ポエムバカ」を書くにあたりあるできごとがあったのだが、それはここには書かない。まあ、自分で書いてても「こりゃぁなんか私憤だよなあ」とか思ったので未詩にしたのです。
しかしなぜ売り物が詩であるというだけで、「奢り高ぶりやがって」という感情になるのかっていうのは、例えば魚の試食なんぞは一口食えばうまいかまずいか、自分の舌に合うかどうかは、まあ分かるし、「この味は好きじゃない」って言うのもそんなに抵抗無い。ところが詩というのはどうもね、読んで意味が分からなくても「これってヘタクソじゃん」ってなかなか言い辛い。「俺の読解力が足りないんじゃないか」と考える。あと「これは自分に合わない」ってのもどうにも言い辛い。「俺はそんなに読んでるのかね」ってのがどうしても先に出てしまう。だから押し付けられると、こっちの未熟っぷりを指摘されバカにされてるようで、なーんかムカついちゃうんだよね。(実際はバカにされてるわけじゃあないでしょうが)
これはまあ詩に関わらず芸術全般に言えると思うんですけどね。私は絵なんかよく見るんだけど、「ピカソなんて子供の落書きだー」なんていう人を見ると、「なーに言ってやがる俺様はピカソの良さを分かってるぜ」と大いに慢心し、逆に私が良く分からんマーク・ロスコの絵をべた褒めするヤツがいると「インテリぶりやがってコノヤロー」って思う。理不尽に妬んだっていいじゃないか、人間だもの(相田みつを風)。
>だったら別に100メートル離れて言わなくてもいい、売りつけに来るやつの耳元で言ってやればいい。
そこがあなた、嵐の感情を抱いていても行動できん小心者の小心者たるゆえんのところ。詩を書くにあたり、理性的なヒーローである必要は無い。さんざん強気に言っておいて、最後でボロっ弱くなっちゃうのが好きなのだ。いかにも自分らしい。