雑談スレッド5[16]
04/14 16:26
佐々宝砂

>>15
詩を手段にするか目的にするか。というたいへん古くからあるお話になりつつありますね。私個人にとっては、実のところ詩は「結果」です。現実路線のために書こうが、たとえネオナチのために書かれようが、心なくしててけとーに「こんなんなら若いのに受けるだろ」と思って書いたものであってすら、「結果」として生まれた詩は、誰ぞの心を打ってしまうことがあります。詩は目的でも手段でもなく、「結果」だと私は思っております。
こどもの言葉が恐ろしいまでに心を刺すことがありますね。こどもの心なりに何か考えて言葉にしたから詩のようになったとも言えるけれど、実際問題としては語彙と知識が少ないがゆえ「結果」として詩のようになったに過ぎません。心なくしてもおそらく「結果」としての良詩は生まれます。心にもないことを私は書き得ます。それを思うと自分がたいへんに悲しい存在だと思えてくることがあります。
私がドジさんに「口説いてみろ」と言ったのは、彼がこの詩のサイトにきておきながら詩のおすすめもせず投稿もしてはいなかったようだからです(この投稿をした時点で確認したところ、ドジさんはいまだおすすめも詩の投稿もしてはおりません)。「詩を書いてみろ」という意味のアジテーションを、ドジさんの語調にあわせた答として「詩で口説いてみろ」と私は書いたのでした。理由がどうであれ、経過がどうであれ、それでいい詩ができたらめっけもんです。私は嬉しいです。
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