そう言ったところで
若原光彦

百万本の薔薇
咲きほこっている
そう言ったところで
それが造花であることをあなたは知らない

一匹の狼が 肉をはんでいる
そう言ったところでしかし
その肉が何の肉か
あなたは知らない 知る必要もない

自転車で少年が駆けていく
お年玉を使い果たしに
一人の女性が 駅に立っている
電車に乗ったら自分が変わってしまいそうで恐れている
火事で黒焦げの二階を見上げながら老人は
一本のカセットテープとその中身について考えている
ハミングが聞こえる

あなたの前には
飲みかけのコーヒーが残っている
暗い
冷たい
甘い 苦い
コーヒーが 波打っている
そう言ったところで
あなたは
そのコーヒーが最後の一杯とも知らずに
あなたは
その一杯を飲み込んでいく

今誰かが涙をこらえている
そう言ったところで

   *

違うんだ
百万本の造花なんてないんだ
ましてや薔薇なんかじゃないんだ
アイウエオでできた花なんだ
狼は文字を食べてたんだ
少年は数字を減らしに行ったんだ
女性の中はからっぽだっただけ
老人の耳には風が吹いてただけ
どんな音も匂いもしなかったんだ
ごめんね
みんな言葉だったんだ

そう言ったところで

   *

あなたはコーヒーを飲み終わる
あなたは私に どうしたの と言う
こないだのあの人 誰だったっけ
名前じゃなくてさ 誰だったっけ

そう言ったところで
玄関のベルが鳴る

どうしたの
おじいさんから花束が届いたよ


自由詩 そう言ったところで Copyright 若原光彦 2006-12-19 18:25:50縦
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