繊細で心優しい、詩人かもしれないみなさんへ
佐々宝砂

もしかしたら「私は詩人ではない」とおっしゃる方もおられましょうから、「詩人かもしれない」と書きました。詩人でも、詩人でなくてもどっちでもいいんですけどね。そんなの単なる言葉ですから。詩だかなんだかよくわかんないけど、ここ現代詩フォーラムにきちゃって、なにかを発表してる、そういうひとで、かつ、繊細で心優しいみなさんへの手紙のつもりで、私はこれを書いています。

私はあまり繊細じゃないです。優しいかどうかは謎です。ですが、かなり正直です。王様は裸だとうっかり叫んでしまってエライ目にあう、そういうタイプのバカ正直です。バカ正直だから率直に書きます。みなさん、お願いです。詩人の言うことを信じないでください。詩人は嘘がつけます。性格的に嘘がつけない詩人もいるにはいますが、レトリックを練習すれば、いかにもホントらしい嘘がつけるようになるものです。いやだいやだと思いながらも書けるようになります。思ってもいないこと、自分の主義思想に反することを、いかにも心からの言葉であるように書くことさえ、できるようになります。私が書くことも、これを含めてたいてい嘘八百です。と書くと文章自体が矛盾してますね、でもこれはもちろんワザとでありまして、これもレトリックのひとつ。そう、矛盾ですらレトリックのひとつなのです。まして、嘘なんて、レトリックの初歩もいいところ。

繊細で心優しい、詩人かもしれないみなさん。あなたには、心からの言葉と、そうでない上っ面の言葉と、本当に見分けがつきますか? 実を言えば、私には見分けがつきません。もしかしたら私が大バカなのかもしれません。言葉に心こめられているかいないか、見る人が見れば何の迷いもなく判るのかもしれません。判らない私にはヒトの心がないのかもしれません。

間違いなく繊細の正反対で、優しいと言われると困るか怒るかする性格で、かつバカ正直な私に判るのは、その文章が巧いか下手か、文法的に間違ってるか正しいか、そのくらいなもんです。考え方や感覚は、正直なところわかりません。詩に書かれている考え方が私と激しく違うとしても、作者ご本人に会ってみると案外考え方が似てたりする、かもしれません。感覚だって、詩に書かれてる感覚が作者の感覚と同一であるとは限りません。作者の感覚と真逆のことが書いてある可能性だってあるんです。

私にはものすごく当たり前のことなのですが、作者イコール詩の話者ではありません。私の詩から聞こえる声は、私のものかもしれないけれど、私のものではありません。このことを私は何度も何度も書いてきましたが、また書かねばならないようなので、書きました。


散文(批評随筆小説等) 繊細で心優しい、詩人かもしれないみなさんへ Copyright 佐々宝砂 2006-12-19 00:28:16
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