詩人・一期一会 〜其の一・落合朱美詩集「思推」を読んで(上)〜
服部 剛



 今、僕の手元には、「思推しゆう」 落合朱美 というりんとした縦書きの
文字が記された一冊の詩集が置かれている。朱色一色の表紙には、
白い輪郭で描かれた一輪の薔薇の花が開いている。「思推」という
題は、読んで字の如く、落合さん自身が「詩作を通して今迄生きて
来た日々と、これからも続く道程の意味を推し量る」という意味で
あろうが、自らが主催する詩の投稿サイト「詩遊会」という言葉と
かけた題であると思われる。そしておそらくその言葉には「詩友」
という意味も含まれているのではないかと思う。

 僕が初めて落合朱美という詩人の詩を読んだのは数年前、仕事帰
りの電車の中であった。「蘭の会・アンソロジー」(詩学社)とい
う女流詩人のサイトに参加している人の詩を集めた詩集の中に、落
合さんの詩は載っており、「落ち着いたいい詩を書く人だなぁ・・
・」というのが第一印象であった。その後、現代詩フォーラムで詩
を読むようになり、共感する詩友と感じたので、時々私信やメール
を交わすようになった。初めて私信を交わしていた頃の、今でも印
象に残る落合さんの言葉は、「ストレートな詩を書く、正統派です
ね。」という僕の感想に対して、「てらわない、伝わる言葉で詩
を書きたいです。」という返事の言葉であるが、それはそのまま、
落合朱美という詩人の生き方と人柄を表す言葉であると僕は思う。
 落合さんからの私信を読む時にいつも感じることは、彼女の持っ
ている「明るさ」である。だが、数ヶ月前に手にした「思推」とい
う詩集を読み終えた後、僕の落合さんへのイメージは今迄と少し変
わった。
 この詩集「思推」の中には、落合さんの日頃の明るさの裏に、そ
っと身を隠している「もう一人の詩人・落合朱美」が独りで凛と立
とうとしている姿が見える。彼女が今迄詩を書いて来た密かな理由わけ
が、一篇々々の詩を読んでいると、時々垣間見える気がするのだ。 
 その密かな理由とは一体なんであるかを暗示する詩が、「風葬」
という詩である。


*参照*(現代詩フォーラムでは 05/10/8 に投稿されています)

http://po-m.com/forum/myframe.php?hid=994&from=menu_avg.htm 

http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=51467&from=listbytitle.php%3Fenctt%3D%25C9%25F7%25C1%25F2 


二 

 幼い頃の体験は、後にその子供が大人になってからも影響を与え
続けるという。そしてもし、幼い無垢な心に哀しみの記憶が刻まれ
たなら、その傷口が深いほど、思春期から大人へと成長する中で、
その子供は誰にも言えない葛藤を抱えるであろう。そして、大人に
なってもその傷口が癒えない場合は、「幼い頃の哀しみの体験」ま
さかのぼり、「大人になった自分」が置いてきたまま、遠くで独り哀
しんでいる「子供の自分」を迎えに行き、ありのままの姿を包むよ
うなまなざしで見つめ、頭をなでてあげることが過去の傷口を癒す
最初の術であると感じる。人は誰もが、大なり小なりのトラウマを
抱えているものかもしれないし、落合朱美という詩人が幼い頃に感
じた哀しみがどのようなものであったかは、本人以外は知り得ぬこ
とだろう。只、「風葬」という詩の一〜四連目迄を読むと、彼女が
幼い頃に感じた寂しさが、詩を書くことの源泉としてあるような気
がするのである。そして、自らにまとわりつく影が、「 誰かを愛そ
うとするたびに 耳元で呪文を投げかける 」という描写に、思春期
から大人にかけて、葛藤を抱えながら生きて来た心情が表れている
と思う。「 窓辺の秋桜コスモスが 孤独にうちひしがれて 」という描写も、
自ら振り返った幼年期の姿そのものであるかもしれない。そして詩
人である彼女が「 言葉は私の味方ではなかった 」と書いているの
は見逃せない一行であるが、当時の彼女はまだ詩を書いていなかっ
たということかもしれないし、あるいはもし、幼い頃からすでに、
「言葉の無力さ」を感じていたなら、それゆえにその後の彼女は自ら
の偽りの無い詩の言葉をつづることで、胸に空いた哀しみの空洞を埋
めようとしたのかもしれない。 

 そして、時に誰もが感じる「人間の哀しみ」を抱えた詩人・落合
朱美が、かつては無力と感じていた詩の言葉で、自らを快復してい
こうという想いが表れ始めるのが、「風葬」というこの詩の題の意
味を表す最後の二連である。 


  うすずみ色の便箋に 
  送る宛てのない歌をしたため
  紙飛行機を折り 
  祈る

  できるだけ遠くの街まで 
  風に乗ってお行きなさいと
  空へ翔ばす 
  儀式 


 確かに詩作という行為は「 送る宛てのない歌 」であり、自らの
答を探そうとしている個人の内面を表すものである。だが、詩人で
ある彼女が幼年期の願いの象徴である紙飛行機を一篇の詩の中でそ
の手から放つ時、哀しみを乗せて風に乗るうすずみ色の飛行機が、
開いた詩集の中からゆっくり飛んで来るのを、読者は見るだろう。



 * 落合朱美詩集「思推」(詩遊会出版部)を参考に書きました。  






散文(批評随筆小説等) 詩人・一期一会 〜其の一・落合朱美詩集「思推」を読んで(上)〜 Copyright 服部 剛 2006-11-22 14:25:46縦
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