独り言
虹村 凌

学生による自殺関連の報道が増えている。
イジメと直結して考える人も多い。
イジメだけが、自殺の原因じゃない。
それでも、殺しが少ないのは、矢張り報道に依る処が大きいだろう。
テレビを見て、「あぁ、自殺と言う手段があるのか」と気付くのだと思う。
…と言う様な事を、多くの人が書いているし、私もまたそう思う。

私は、自殺と言う行為を否定はしない。
それ以外に、選択肢が無い状況だってあるだろう。
それでも生きろ、と言うのは酷だ。
同時に、余りにも無責任な発言だ。
生きる事に、何の意味が有ると言うのだ。
ただ、死と言う結果に向かって進むだけの人生に、
どんな義務が有ると言うのか。どれ程の使命が有ると言うのだ。
生きる事によって、変わる状況もあれば、変わらない状況もある。
生きる事によって、何も変わらないのなら、死ぬと言う選択肢はあって当然だ。
私は、自決を選択した人間を責める気にはなれない。
それだけの苦悩を抱えていたのだろう。
助ける事や、多少でも苦しみを軽減させてやる事の出来なかった、
私達の責任でもある。

生きていれば何か変わる。
生きていればいい事がある。
生きる事は素晴らしい。
希望を持て、明日は違う、未来は希望に溢れてる。
個の様な文句を聞く度に、俺は吐きそうになる。
いち個人が絶望に面した時、殆どの場合は、希望など指しはしない。
苦しみの朝に、希望を持てると思っているのか?
苦しみの夜に、明日は違うと思えると、本気で考えているのか?
病んでいるとでも言うのか?
その病が治せるとでも言うのか?
誰が、苦しみを取り除いてくれると言うのだ?
誰が、その苦しみを理解してくれると言うのだ?
誰にも救えない、誰にも理解されない苦しみだからこそ、
己で解決し、己で処理するしかない。
自殺は、その手段のうちのひとつでしかない。
人を殺す程に動かしたその苦悩を、まさか大した事じゃないと斬り捨てる事も出来まい。

しかし、死なれる側の身としては悲しい。
出来る事なら、死んで欲しくは無い。
出来る限りの強力をするから、死んで欲しくない。
それでも死を選ぶのなら、それはそれで仕方の無い事だ。
望む様にすればいい。
私達は、死んだ彼若しくは彼女の望むように、見送ってやる事しか出来ない。
死んだ人間や、苦悩している人間を否定する事は、私には出来ない。

何故、こうまで簡単に、否定する事が出来る人間が増えたのか。
自殺の何が罪だと言うのだろう。
苛めた相手を、復讐の為に殺すよりも、自害した方が潔いではないか。

以前私は、苛めた相手を、一人ひとり倒して行けとは言ったが、
それも精々、病院送りにするのが限度だ。
殺しちゃいけない。どれ程の殺意を持とうと、殺しちゃいけない。
その相手の為に、一生を棒に振る事は無い。
そういった面で、私は殺しが減り自害が増えた方が、まだマシだと思ってる。
どちらも死なないでいてくれたら、それが一番に決まってる。
だから、俺は「逃げろ」といい続ける。
逃げればいいんだ。それを気付かせてやらなきゃいけない。
逃げるという手段がある事を。

イジメはなくなりやしない。
百人が百人、私を愛する訳も無く、当然嫌う者も出てくる。
嫌う者も、様々だろう。
陰で悪口を言うもの、後ろ指を差すもの、面と向かって物申す者。
それが激化すれば、いじめに発展しうる。
人が生きている限り、イジメはなくなったりしない。
同様に、喧嘩も戦争も無くなりはしない。
より多くの人間が、この事に気付かなければいけない。
イジメはなくならない。
どんな英雄が「イジメはよくない」と言おうと、イジメはなくならないのだ。

だからこそ、真っ先に死ぬのではなく、真っ先に逃げなくてはいけない。
多くの人間が、理解を示さねばならない。
多くの親が、理解を示さねばならない。
「逃げる」事を教えなければならない。
戦うだけが全てじゃない。
死ぬ事だけが選択肢じゃない。
逃げなければならない。
ただ、退路が全て絶たれた時には、自害するのが潔い。
出来るだけ逃げて欲しいのは言うまでも無い。


未詩・独白 独り言 Copyright 虹村 凌 2006-11-18 21:37:48
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