忘却の深層より—東京
前田ふむふむ

      1

ホームの後ろに錆びた茶色の線路があります。
線路の枕木は腐りかけ、
雑草が点々と生えています。
線路は使われなくなってどれくらいがたつのでしょう。
わたしは線路に耳を当ててみました。
過去の幼いわたしを乗せた通勤電車が
遥かに遠くで走っている気がする。

ああ、段々と耳の奥に見える、白い闇に遠ざかってゆく。

冬空の光をうけて線路はそこにあります。
たくさんの思い出を抱いて
もう取り外すことも忘れられている線路が。
ただあるだけの線路。
忘却されたものの死屍が敷いてある。

      2

白い手が、豊饒な東方の湿原に延びて、
硬い眼は、その端正な落ち着きを引き立てる、
痩せた半島の廃線の夢に流れて。

わたしは、素姓も定まらぬ淡い女が佇む、
一日をまぶしく過ぎる。
閃光を抱き、うっすら汗にまるめる、
はだけた衣服のもつれを、鳥瞰図のうえでなおして。
わたしは、暗い二つの大河に蜜月を欲した時代の、
濡れた考古の学を掘り出して、
十一月の愁眉が、
湧きあがる庭園で、法悦の夢にひたる。
その夢の断面より溢れる、
錐のような汽笛の声に乞われて、
南へ延びる驟雨を浴びる。

旅は香ばしく発酵して――、

青い炎のように、揺れる街を、指でなぞれば、
アルコールに耽溺した女が、
   震える手で、
繋がらない恋情の海路を描いた、眠らない、
初夏の暗礁が、よみがえる。

東京、その甘美な調べに染まり、
わたしは、衣擦れの都会に、暫く、流れる。
退廃の街を唾液に混ぜて、
わたしは、いくたびも、自由の陶酔に靡き、
眼差しを、灼熱した詭弁の秩序を塗した、
螺旋の空の踊り場に横たえる。

わずかに、ずれる心音が肯く。
赤い剃刀が撫ぜるような、白い闇が、
空虚な寂寞の夢に広がり。

 ・・・・・・・
・・・・・・・

聴こえるだろう。
さらさらと流れる、みずのおとが。

あの日も、父は流れていたという。
東京の聡明な森が、すべて枯れた日――
言葉を束ねる父のきつい眼差しのなかを、
滾々とみずは流れる。

父は、あのみずのおとのむこうから、やってきて、
やがて、むこうに帰っていったのだ。

聴こえるような気がする。

・・・・・・・
・・・・・・・

遠い声を灯して、
飛行機雲が、群れる冬空をよこぎる。
法事のもえあがる礼節を裂いて、
笑い声が、父の足跡を飾る。
なごやかな声が、奥ゆきある空に弾けて。

東京の早過ぎる寒椿がゆれる、乾いた空の、
こんなにも晴れた、穏やかな日は、
雨たちよ。
滝のように、降りそそげ。


自由詩 忘却の深層より—東京 Copyright 前田ふむふむ 2006-11-16 12:53:00縦
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