夜を夢想する海の協奏
前田ふむふむ

     1 序章

慎ましい木霊の眼から、
細い糸を伝って、子供たちが、
賑やかに、駆け降りてくる。
溺れている海の家の団欒は、
厳格な父親のために、正確な夕暮れを、見せている。
見開かれた季節の眼は、瞼を閉じると、
めらめら燃えながら、山なみで焚き火をする。
子供たちの瞳が輝く。
子供たちの口の中に、太陽が勢い良く泳いで来る。
子供たちの口の中で、涼しい風が、
優しく握手をする。
遊歩する印象が、
目まぐるしく口紅を塗る、多弁な秋色――、

その反転する境界線で。
  
木々は、厳かに朽ち始めて、薄れゆく、灰色の海の幻想を、
鮮やかに、わたしの胸に刻みつける、
夢を、濡れたまくらに沈めて。
叩頭する秋の灯台は、みずを閃光に埋めて、
枯れた灌木が、殺伐としたわたしを、透過して、
涙ぐむ太陽は、いつまでも、水平の眼差しに佇む。
わたしは、尚、愁色の純白に触れる。

    2 追想

       蝉時雨が跡を追う、街は、淡いみずを打つ、
急な坂を下れば、砂が軋む夏がある。
    
エメラルドの海原が、ゆっくりと蒸発してゆく。
わたしの眼が、沙漠の砂を飲みこんで、乾いた夜が暮れてゆく。あの、零れ落ちそうな澄んだ海の抱擁は、わたしにはもう見えない。暮れ行く太陽に染められて、黄金色に、変貌してゆく海が、隠蔽の闇をひらく。寂しく死を孕んでゆく海は、澱んだ絵具を飲み込んで。
黒く、黒くコールタールの姿で、波打っていく。

浮遊する闇によって、どこまでも水平線のない海がひろがる。
その垂直なひろがりのなかで、わたしは、海の雫になり、
透明な音韻となって、海の幻想に身を染めてゆく。

     
     3 協奏

懐かしい目次が水底を歩く。
あなたが、軟らかい喜悦を浮かべるしぐさを、
永遠にとめようとした夜が、深々と零れる。
世界は、わたしのみずいろの窓を閉じようとした。
降りつづく星座が、仄かに、あなたの涙を照らして――、
   

蠢いている海底では、魚たちが、海を苛烈な宿命で汚した、懺悔の祈りが行われている。その厳粛な時が通り過ぎて、魚たちの、永遠に眠らない海が、立ち上がる。

あなたが失った月のうな垂れる夜は――、

ただ波の音さえ、悲しみに包まれるのに、空気が激しく逆立ち、海鳥の息づかいさえ感じられない。それは、冤罪の海鳥の水葬が、海辺の片隅で静かに行われているからだろう。新たに罪を咎められた、顔の無い海鳥たちは、自らの羽を捥取り、首を折り沈黙する。

あなたと走った浜辺を、わたしは、みずのように流れて――、

夜の海は、海に生きるすべてのものが、犯したすべて罪を流し去り、やがて隠してゆく、そして許してゆく。免罪の時を束ねてゆく。

あなたの濡れた胸に、冷たい手をあてがえば――、

海のかなしい疼きが聞こえてくる。
海のさけびが硬直する闇を駆け抜ける。
夜の海は、激しく傾き、仄かに灯りが燃える街並を沈めながら、

あなたは、美しく――、

昇華する。
   
      4 黎明

      温度計を冷ます風が鳴る。
ゆったりと浜辺の砂を握り、
その手触りが、もえる赤い血のなかに滲んでゆく。
わたしの吐き出した言葉は、失われる沈黙に寄り添い、
溶けてゆく。
溶けたものは、街に、夥しい夜の色彩をくばり、
更に、純度を深めて、
まどろむ秋は、薫り立つ風俗に、染まる。

わたしの掌から、一艘の船が、ふたたび、港を出る。
眠る廃船に、看取られながら、
黒い海原の水面を舐めるように、
新しいひかりを焚いて。



自由詩 夜を夢想する海の協奏 Copyright 前田ふむふむ 2006-11-09 21:42:17
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