「 たららま。 」
PULL.







冷蔵庫を開けて卵を取り出す。
卵は冷えていて、
すこし硬い。

手の上で卵を転がす。
卵はなめらかで、
とてもすべすべしている。
頬に当てると、
ひんやりして気持ちがいい。

床の上に卵を置く。
はじめは上手くいかなかったが、
床板の節目を利用すると、
すんなり卵を立てることができた。

卵の上に足を乗せる。
裸足の裏から伝わってくる、
卵の感触は、
さっきの手や頬よりも、
ずっと硬くて冷たい。

ゆっくりと体重を掛けてゆく。

卵は硬く、
あたしに抵抗する。
さらに体重を掛ける。
卵はあたしに耐えきれず、
じわりじわりとひびが入る。
やがて裂けた殻から、
白身が流れ出し、
床を濡らす。
そして、

つぶれた。

殻が裸足の裏に刺さって、
すこし痛かったが、
冷蔵庫を開け、
また卵を取り出した。

踏みつぶした。
踏みつぶした。
踏みつぶした。
踏みつぶした。

たくさんの殻と白身と黄身にまみれた足。
ぬらぬらと濡れて光っていて、
まるであたしの足じゃないみたい。
ずっとずっと昔に、
妹と近所の美術館で見た、
奇妙なオブジェみたい。

あたしはなんだか楽しくなって、
床でぐちょぐちょなっている、
殻と白身と黄身を、
足先ですくって、
混ぜて、
ぐちょぐちょぐちょぐちょにした。

殻と白身と黄身とで描かれたそれは、
どんな絵よりも奇抜で混乱していた。

声がした。
振り返ると妹がいた。

「お姉ちゃん、
 そこでなにしているの。」

妹は泣いていた。

ほら、
あんたもやってみなさいよ。
気持ちいいわよ。
足の裏で、
ぐちゃって。
卵がつぶれるの。

いやがる妹の手を取って、
卵の前に立たせる。
妹の手はひどく冷たくて、
冷蔵庫の中の卵よりも、
冷えていた。

ほらこうやるの。
ね、
簡単でしょ。

後ずさる妹の手を強く握り、
あたしはまたもう一個、
卵をつぶした。

あたしの卵がつぶれたときも、
こんなふうにぐちゃって、
なったのかしら。
ねえ、
あんた。
あの時のこと憶えてる。

妹は首を横に振り、
悲しそうな目で、
あたしを見た。

そんな顔しないで、
あたしはつぶれてないの。
こんなにぐちゃって、
つぶれてないの。
ただあたしの卵が、
つぶれちゃっただけ。
こんなふうに、
ぐちゃって。

あたしは続ける。
あたしは卵をつぶし続ける。
妹の手はひどく冷たい。
なので妹の周りの空気も冷たくなって、
あたしの吐く息は白くなった。
だけどあたしの吐く息は白いのに、
妹の吐く息は白くない。
だから妹の手はひどく冷たい。
冷蔵庫の中の卵よりも、
ひどく冷たい。

卵がなくなるとね、
ここが空っぽになった感じなの。
わかる。
ここにはもう卵入ってないの。
あたしの卵もうないの。

妹の手をお腹に押し当てる。
冷たい妹の手は、
空っぽのお腹の中も、
冷たくした。

あたしはまた卵をつぶす。

「お姉ちゃん。
 もうやめよう。
 こんなこと。
 もうやめようよ。」

妹の頬をつたう涙は、
凍っている。
妹の頬は涙よりも、
冷たく凍りついている。

「お姉ちゃん。
 あたし、」

冷たい。
冷たい頬をしているわね、
あなた。
いらっしゃい。
お姉ちゃんがあたためてあげる。

妹を抱き締めた。
凍りついた妹の躯に、
あたしの体温が移ってゆく。
そしてあたしも妹と同じように、
冷たく凍りついてゆく。

「お姉ちゃん、
 ごめんね。
 ひとりにしちゃって、
 ごめんね。」

耳元で聞こえる、
妹のか細い声。
あの頃と、
なにも変わっていない。
妹の声。

ねえ。
あなたどうして、
ここに戻ってきたの。
お帰りなさい、
あなたの卵の中へ。

だいじょうぶ。
あなたが孵ってくるまで、
お姉ちゃんこうして、
あたためてあげる。












           了。



自由詩 「 たららま。 」 Copyright PULL. 2006-11-06 08:04:28縦
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