ナイフを買ったよ、白い柄のナイフを買ったんだ。
虹村 凌

ナイフを買った。昔から刃物が好きだった。
初めて持ったナイフは、オレンジ色の果物ナイフだった。
オレンジ色が嫌いで、テーピングテープを巻いて持ち歩いていた。
そいつは、誰も居ない剣道場の部室のドアに、
何度も何度も叩き付けられて、壊れてしまった。
剃刀は、今も実家の机の中で眠っているかも知れない。
ナイフを買ったのは、ただ単純に刃物が好きだからだ。
手首を切りたいとか、刺せば心臓に届く長さだとか、
そういう不純な動機じゃない、筈だ。うん。
何かを刺したい訳じゃない。
まぁ、治安が悪いので、護身用って意味も含めるのだけど。

誰も助けてくれないのだ。
今の世の中、誰も助けてくれないのだ。
特に、最近の日本ではそうなんじゃないだろうか?
誰もが他人に無関心で、都会の真ん中で誰が死のうと関係ない。
そりゃあそうだ、関係無いもの。
だから、自分の身は自分で守るしか無い。
黙ってちゃ、誰も助けてくれないのさ。
前にイジメについて書いたけれど、今は先生だって助けてくれない。
友達だって、助けてくれない。自分が矛先にされるのは誰だって嫌だ。
イジメがなくならない理由のひとつとして、
「被害者で無い限り、イジメは楽しい」のである。
加害者である方は勿論、見て笑う奴等がいるからだ。
誰も笑わなければ、イジメは消え去る事でしょう。
みんなが笑うから、イジメる方も調子に乗るのだ。
誰も助けてくれない。
少し気の利く友人がいたら、逃げるようにとか、アドバイスを呉れるかも知れない。
でもそれも慎重にやらなければ、今度はその友人までもが巻き添えを喰う。
場所は選んだ方がいい。

俺は気に喰わない奴を殺す事を、何度も夢見た。

初めてのキスは、思ったよりあっけなかった。
初めてのセックスは、思ったよりあっけなかった。
世界は変わらなかった。配色もそのままだった。
俺達がキスしたり、セックスしてる間に、
地球の裏側では戦争をしていて、血が流れたり涙が流れたりしていた。
俺の顔はアトピーの為に、酷く醜く崩れ落ちていった。
崩れ落ちていく俺は、そう、酷く醜かった。
苦しさも痛さも、共感出来ない事を知った。
共感など在りえないのだと知った。
人間は孤独なのだと知った。
俺の友人である恋人を裏切る君は、とても美しく見えたが、
それは嘘だった。…勿論、要因は俺にもあるけれど。
アトピーが酷かった頃、毎朝を迎える事が何より苦痛だった頃、
俺は、俺の心は誰よりも醜く、誰よりも純粋だった。
全ての人間を憎み、たった一人だけを愛する事が出来た。
その愛は狂信に近かった。
恋と愛の違いを知った。
初めて、そいつの為に死ねないと思った。
そして矢張り、そんな愛は、長続きしなかった。
でも、感謝の気持ちを捨てる事は無かった。
忘れかけていたけれど、感謝することを思い出した。
そして、俺より不幸せな人間が、まだまだいるだろう事を思い出した。
俺はその時(当時18〜9歳)まで、キチンと育ててもらった。
虐待も受けず、飯を食わせてもらって、学校にも通わせてもらった。
治療もさせてくれた。醜い言動を繰り返す俺を、黙って我慢してくれてた。
友達もみんな、優しくしてくれた。
一部のクソ野郎が、俺の顔を見て笑っても、生きてこられた理由が、そこにあった。
俺よりも酷いアトピー持ちの人間はもっといる。
俺みたいに、幸せに育てて貰えなかった人間も沢山いる。
それは虐待であったり、殺されてしまった人間を含めて、
俺が考える幸せを掴む事が出来なかった人間が、
この世には、俺の他にもっといるのだと思った。
俺は、この世で一番不幸な人間なんかじゃない。
俺は乗り越えるべき壁を、どうにかこうにか乗り越えた、
ただの幸せものでしかない。

俺は、幸せなんだ。
俺は愛されている。
もし誰も俺を愛していなかったら、周りには誰もいないだろう。
そりゃ時々、自分自身がそこにいていいのか、必要な人間なのか、
邪魔じゃないのか、憎まれているんじゃないのか、嫌われているんじゃないか、
と不安になる事は年中あるけれど、
もしそれが真実なら、今の俺の周りには誰もいない筈だ。
同情で傍に居て呉れる程、人間は暇じゃない。
同情は金になるけれど、友情にはならない。
勿論、世の中全ての人間と友達になれる訳じゃない。
愛してくれる人もいるのと同じ人数だけ、忌み嫌う人間もいるのだ。
それは仕方の無い事だ。
俺だって、誰かに悪口を言われ、陰口を叩かれている。
2回連続でクシャミが出るのはその所為だろう。

生きている事は、不安を解消し続ける作業が多い。
お金を稼いだり、外見に気を使ったり(人は見た目で9割方を判断されるからだ)、
友達を作ったり、恋愛したりするのも、全て安心を得る為だ。
漫画家某氏も言っていた。
安心したいから、そうするのだ。
しかし、安心する為に得たものは、新たな不安を生み続ける。
そして其れを解消していく。解消の先には、また新たな不安がある。
不安は一生消えない。それは解消し続けるのだ。
自分が解消した不安が多ければ多い人ほど、笑って死ねる確立が高い。
少なくとも、俺はそう思う。
不安の解消は、幸せに繋がる。幸せは笑顔をもたらす。
生きる事は、死と言う結果に向かって進むと言う事。
いかに多くの不安を解消するか、多くの幸せを掴めるか、に寄る。
幸せの定義は人それぞれ、不安の定義も人それぞれ。
それを解消し続けて、生きていくのだ。

でもその幸せは、誰かの不幸せの上に成り立っている。
顔を背けてもいいと思うし、向き合ってもいいと思う。
金を得る事は、誰かの金を奪う事。
そもそも、生きていく事は、誰かを殺していく事に他ならない。
毎食毎に、どれだけの生物を殺すのか。
人生で、いったい何匹の牛や豚を、鳥を魚を殺すのか。
今の学校では教えてくれない事を、もっと学校は教えるべきだと思う。
生きる事は奪い、犯し、殺す事なんだと。
そして逃げる事も、背を向ける事も、生きる上では必要なんだと。
人間は孤独だと言う事を、誰も助けてくれないと言う事を。

それでも求めなきゃ、何も得る事なんて出来ない。
振らないバットに球は当たらない。
振らないサイコロに目は出ない。
まかない種に目は出ない。
最初は闇雲でもいいじゃんか。

あーもう電話でいいたい事言っちゃったよ。


散文(批評随筆小説等) ナイフを買ったよ、白い柄のナイフを買ったんだ。 Copyright 虹村 凌 2006-10-28 12:45:18
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