silent moon
いとう



そのころ、と言っても今でもそうなんだけど
僕の遊ぶベースは六本木で
ヒマがあるといつも
終電でやってきて始発で帰る日々を送っていて
仕事の知り合いよりもこの街の知り合いのほうが多いという
おそらくは恵まれた毎日だったと思う
特定の彼女はいなかったけど遊ぶ相手には困らなくて
この街に来れば必ず誰かを見かけたけれど
彼女を見かけたのはその日が初めてだった

日比谷線六本木駅の出口のすぐそばにある明治屋の前

いつもは六本木交差点に向かって歩き出すのに
その夜立ち止まったのは彼女がそこにいたから
なんて彼女のせいにしてはいけない
簡単に言えば
彼女がとてもきれいだったからだ
「とてもきれい」というのは詩の言葉としてあるまじきものだと思うけれど
「とてもきれい」としか言いようがないから仕方がないと今でも思っている

ちなみに意外に思われるかもしれないが
1人でこの街にいるときはあまり女性に声をかけないようにしていて
というのはこの街に1人で来るときは
“女よりダンス”
なんてカッコつけるわけじゃないけれど
でも踊るのに夢中で
あえて悪ぶった言い方をすると
品定めしているヒマなんてないのだ
(じつはこの話にはウラがあってどういうウラかというと
踊っていれば“踊り上手いですねぇ、少し教えてもらえませんかぁ”なんて
言い寄ってくる女性がなきにしもあらず
なので結局品定めする必要がないというウラ)

話がそれた
今は彼女の話をしている
言いたかったのは
普段なら声をかけないのにかけてしまった
ということ

彼女がなぜ「とてもきれい」なのかと言うと
この街の深夜にはあまり見かけないタイプで
ジーンズに白いTシャツというありふれた格好で
指輪やらピアスなんかはしていなくて
表情やしぐさにクセがついていなくて(じつはここがこの詩のポイント)
ここだけの話だけど
表情と歩き方を見ればその人がどんな人か
大雑把にわかってしまうのが僕の特技で
二十歳くらいなのに彼女がとてもきれいなだけでなく
とても素直に、真っ直ぐに育ってきたのは一目瞭然

ちょっと嘘をついた。

ぶっちゃけた話
「背が低くて痩せていて髪が長くて足が細い」という
必ずハマってしまうタイプだったからだ(笑)
なぜか知らないけれど僕は
こういうタイプの女性に弱い
とてつもなく弱い
なぜか知らないけど
どうしようもないので
そういう女性は僕に近づかないように。
なんてワガママでジコチューでナニサマ的なお願い

で、結局芸のない僕は
どこいくの? とか
待ち合わせ? なんて
ありきたりでありふれた言葉を使う
でも「待ち合わせ?」というセリフはじつはとても便利な言葉で
「ブラブラしてたとこ」なんてセリフが返ってきたら脈アリなので
そのままナンパできるし
「友達(彼氏)が来るの」なんてセリフが返ってきたら
相手の態度を見てそのままバイバイするか
あるいは
「友達(彼氏)遅いねぇ」なんて切り返すことができる
○○時10〜15分くらいにボーっとしてる子には特に有効なので
使いたい人はメモしておくように(笑)

さてさて話を元に戻そう

彼女はどう反応したか?
彼女は
何も言わずにちょっと僕を見つめて
それからおもむろに
手帳とボールペンを取り出して僕に渡して
「私、耳が聞こえないの」と
ニッコリ笑った
これでまいっちゃいました
絶妙な笑顔
僕があと10年若ければ絶対に恋してました
彼女は続けて「ナンパ?」と聞くので
気がつくと
僕は思わず「うん」と答えてました

「私、踊りにいきたいの。どこかいい場所知ってる?」

シンクロしてるね。なんて有頂天になって
手帳に「まかせて」と書いて
「どんなジャンル?」なんて大失敗をやらかす
バカだね本当に
だから耳が聞こえないんだってば
彼女はやっぱり笑いながら
(思わず「ゴメン」と言っても彼女に聞こえるはずもなく)
「どこでもいいよ。近いところ」と
フォローしてくれるやさしさ
……。
「やさしさ」なんて、またありふれた言葉を使ってしまったけれど
やさしい人にやさしいって言うのは悪いことじゃないよね

自慢じゃないけどちょっとクラブには詳しい
某所で私的クラブレポートなぞ連載してたくらい詳しい
(でもどこで連載してたかは恥かしいのでナイショ)
選んだのは「NUTS」というお店
興味のない人は全然知らないだろうけど
ダンサー系クラバーが集う知る人ぞ知るってな感じで
明治屋から西麻布方面へちょっと歩いた場所にある
ビルの奥に入り口があってちょっとわかりにくい地下1階
のドアを開けると彼女はそのままフロアに直進して
結局というかやっぱりお金を払うのは僕で
ドリンクチケット2枚が男性は3000円女性は2500円
性差別は世の中に厳然として存在しているのだ

フロアの前に突っ立って
踊っている人を見つめている彼女の肩を叩いてチケットを渡す
あらためて言うまでもないのだけれど
クラブというのは大音量で音を流しているので
耳元で大声を出さないと会話が成立しない
だから自然と言葉を使わずにコミュニケーションをとるようになる
クラブにいるとき僕たちは
彼女の住んでいる世界とよく似た場所に佇(たたず)んでいるのかもしれない
あるいは
彼女の住んでいる世界にほんの少し接近しているだけなのかもしれない

チケットを受け取った彼女は
そのままカウンターには行かずにフロアに歩いて
手首と膝でリズムを刻み始めたかと思うと
おもむろに踊り始める
僕はそれをダンサーの目で見つめながら
彼女のダンスが自然な
クセのない動きで構成されているのを発見する
自然で豊かでシャープな動き といういわゆるアレだ。

「いわゆるアレ」と言われても何のことか全然ワカラン人もいると思うので
ちょっと解説。
“ダンスの上手い人”と“上手にダンスを踊る人”というのは
じつはまったく人種が異なっていて
誰でもちょっと訓練すれば“上手にダンスを踊る人”になれるのだ
(ちなみに練習じゃなくて訓練ね)
リズム音痴の僕でさえも
クラブに通い詰めて独学で訓練して
数年たった今では女の子が寄ってくるくらいになれる
だからスクールなんかに通えばもっと短期間で効率よく
女の子が寄ってくるという
じつはそんな程度なのだけれど
(と言ったら本業の人に怒られるけれど)
“ダンスの上手い人”というのはもう
才能だね才能という言葉でしか表現できない
簡単なステップでも表現力が全然違うのだ
別世界で踊っているのだ
というわけで
彼女は“ダンスの上手い人”に属していて
一番驚いたのは
耳が聞こえないにもかかわらず
完璧にリズムに合わせて踊っているという事実。
絶対音感じゃなくて絶対リズム感
ともいうべき素養
曲のリズムやテンポが変わっても
素直にクセもなく
その変化に入っていける
そんな才能を
どこで手に入れたのか
なんておそらくは
いや
その考えは確証に近かったので
ためらって
僕の口からは言えずにいた

失うことで何かを手に入れてしまうというのは
もしかしたらとても悲しいことなのかもしれない

見とれていた僕の主観的な時間の流れだけれど
彼女はとても長い間踊っていて
結局僕はまったく踊らずに
彼女を見続けているだけだった
そしてこれも僕の主観的な見解だけれど
フロアにいる男どもの半分はそうしていたと思う
少し優越感。
男なんてたいていこんなふうに単純なのだ

「疲れた。お腹空いちゃった」
簡潔な言葉で僕を動かす彼女
でもそれは全然イヤじゃなく
彼女が僕を動かしていることを幸せに思う
幸せなその理由はとても単純で
彼女が僕を見て笑っていてくれるからだ
クセのない笑顔で
僕の目を見つめて
僕の手を取ってくれているからだ

さっきも言ったけど
10年若かったら本当に惚れてるね
どうしようもなく
惚れてしまっていたね

「外に出よう」と
手帳には書かずに身振りで言うと
彼女も言葉には出さずに「うん」とうなずいて
そして僕たちはまだ暗い六本木通りへ
少し歩いて交差点のそば
ビルの5階にある「一誠」というお店
朝5時までやってる和食屋
おいしくて日本酒も豊富で内装もいい感じ
時計を見ると午前3時

最初にも言ったけど遊ぶベースが六本木なので
この街は庭みたいなもの
どこに何があるか
たいていのことは知っている
「一誠」はかなりお気に入りで
女の子と2人のときはよく使う
別に宣伝してるつもりはないけど
とてもいい店なので
店の名前を出してしまいました
気に入った場所をすぐに公表してしまう
僕にはそんな口の軽いところがあって
よく怒られたりする(笑)

さて
「一誠」内での僕と彼女の会話
の前にちょっと雑感。
店内で僕たちを見ていた人は
その光景にいくぶん妙な感覚を覚えたかもしれない
男が手帳に何やら書いて女が何か囁く
端から見るとその光景は
女の耳が不自由なのか
男の口が不自由なのか
判断がつけられなかったかもしれない

(で、ここから2人の会話。クライマックスの手前といった感じ)

「よく踊りに行くの?」
「時々」
「昔から?」
「耳が聞こえなくなってからかな」
「事故?」
「病気みたい。原因はよくわかんないの」
「いつ頃から?」
「高校の時だから、数年前かな。最初はノイズが入る感じで、それがだんだんひどくなって…」
「つらくなかった?」
「最初の頃は泣いてたけどね。もう慣れちゃった。踊れるようにもなったしね」

…ところでさっきからあなた質問ばかりしてない?(笑)

くったくなく話すのは
彼女が乗り越えている証拠なのか
あるいは壁を築いている証拠なのか
こんな会話で真実がわかるわけがないのだけれど

「ごめんごめん。でも踊り上手いよね」
「ありがと。踊るの好きなの。あなたは踊らなかったけど?」
「今日はね。見とれてたからね」
(ここで彼女の絶妙な笑顔。完全に見透かされてます)
「ふふ」(これは手帳には書いてない)
「ふふ」
「髪長いよね。しかも金髪」
(僕はそのころ金髪だった。髪は今でも腰ぐらいある)
「3年くらい切ってないよ」
「へぇ。すごく目立つ」
「うん。すぐに覚えてもらえるから便利だよ」
「ははは。便利。確かに便利。サングラスもそのため?」
「これは度が入ってる。かけてみる?」
「あ。ほんとだぁ。目悪いの?」
「悪いというよりは、弱いのかな? 明るいところ苦手」
「だから夜遊びしてるんでしょ?」
「そう(笑)。でもこれも便利だよ」
「便利なの?」
「うん。女の子みんなかわいく見える」

店の中で
初めて大声で笑った彼女は
でも、それ以上自分のことを話そうとしない
まあ初対面だし警戒もしてると思うので
僕も敢えて聞こうとはしない
話したくないことは誰にでもあるし
話さなくてもその時の僕たちは
確かにつながっていたと思う
わかりあっていたと思う
そんなどうでもいい話は
まったく必要がないほどに

「私そろそろ帰る。お腹いっぱいだし」
「あと30分くらいで始発だよ?」
「うん。でも今日は帰る。タクシー使う」

「もう俺といるの飽きた?」

とりあえずこのくらいの冗談を言える仲にはなっていたけど
彼女はやはり何枚も上手で
「帰りたいの」と
あの絶妙な笑顔を見せてくれる
どうやら彼女は僕の弱点を見抜いたらしく
とても効果的にその笑顔を使ってくるので
僕は彼女に従わざるを得ない
弱みを見せた方が負けなのだ
そして僕は
出会ったときからすでに負けているのだ

「じゃあ、とりあえずナンパだから、電話番号教えてよ(笑)」
「…あなたって、じつは生真面目な人なの?(笑)」
「とりあえずルールだからね(笑)」
「…バカよねぇ(笑)」

耳の不自由な人に電話をかけても意味がない
わかっていて冗談を言って
でも本当は
ちょっと悲しかった

始発間近の六本木はすでに明るくて
(彼女の服装からわかると思うけれど、それは夏に近い夜だった)
タクシーはまだ群れていて
「あのさ。まだ名前聞いてなかったよ」
「名前?」
「そう。あなたの名前」
彼女は手帳をのぞきこんでしばらく考えたあと
僕の目を見て微笑む
それはあの絶妙な笑顔ではなく
上目遣いに
口元だけほころばせて
僕に魔法をかけるみたいに
僕を見つめ続けて
そしておもむろに
ある方向を指さす
六本木交差点芝公園方面に見える
東京タワーに向かって。

魔法は成就された
彼女は確かに魔法を使ったのだ
そう。
東京タワーのはるかかなた
38万km離れた
大きくて白い
満月が
僕の目に映っている
静かに
そして
僕の手の届かない場所で

「月って言うの」
「つき?」
「うん。私の名前。月なの」

僕はまだ彼女を見ることができない
振り返ると
彼女が消えているような
そんな
予感に囚われて
そのまま
「また会えるかな?」
そう尋ねると彼女は
「これあげる」と
今日出会ってから僕が書いた
手帳に書かれた僕の言葉を切り離して
僕の背中から差し出す

「これが証拠」
「証拠?」
「そう。私がいたことの証拠」

振り向くと
彼女はあたりまえのようにそこにいて
あの絶妙な笑顔を僕に見せてくれながら
「じゃあね。縁があったらね」と
いつのまにか止まっていたタクシーに乗りこんで
すぐに僕の目の前から消えていく
東京タワーに向かって彼女が消えていったあと
残っているのは
残されたのは
僕と
僕の手に握りしめられた
僕の言葉だけだった


時々僕の言葉を見ながら彼女を思い出す
あれから満月の夜になると彼女を探しに街へ出たけれど
予想どおり
再び会うことはなかった
今ではちゃんと彼女もできて
街へ出る回数も減ってしまったけれど
彼女がいたことと
彼女の絶妙な笑顔は
彼女が言ったとおり
残された僕の言葉が証拠になっている
そして
月を見てからの僕の言葉が
ここに残っていないことは
僕と彼女が
手帳を使わずに会話していたことは
彼女が僕に魔法をかけた唯一の
証拠なのかもしれない
まだ魔法がかかっている唯一の
証拠なのかもしれない




自由詩 silent moon Copyright いとう 2006-10-16 23:52:03
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