浄夜——遊戯する断片 デッサン
前田ふむふむ

       一

観葉樹が、かぜに揺れて、嬉しそうに笑いかける。
笑いは葉脈のなかに溶けて、
世界は無言劇に浸る。
映像のように流れる無言の織物。
かぜが、喜劇に飽きるまで、永遠を飽きるまで、
観葉樹は、笑いつづける。

朝の夕暮れのように、わたしの細い足跡は、
涙にまみれた。

   ・・・・・・・・・

わたしは、病室の片隅に、蹲り、
からだを震わせて泣いた。
霊安室の扉が開いて、小さな人形を運ぶ、
痛ましい親族の号哭が、わたしの血を貫いたのだ。
わたしは、生きている幸せを泣いたのだろうか。
疑問は、一瞬に、涙を枯らせた。

生ぬるいベッドが、待っている、
寒々しい夜だ。

        二

思想の声を、青白い機械に閉じ込めて、
鋭い電流の味が、にぶい舌を突き刺す。浄められた夜に。

霧は、漠寂とした白いおくゆきを、たちあげながら、強い閃光を浮かべている。夜の口が、ひそかに開かれて、短いてんめつが一本置かれている。わたしは、手探りに濃厚な霧を分けて、随分と、短いてんめつの上で思考したが、視線は、霧の内縁をいつまでも、さ迷うだけだ。疲れて諦めかけると、やがて、そのときが訪れた。重い冷気を携えて、沈黙が鈴を鳴らして、幽霊の形相で、やってきたのだ。私は、おびえる頬を引き攣らせて、唾を飲んだ。震える手がキーボードの上で、妄想を逞しくして、
「白い夜霧の中から沈黙がやって来る。」
と文字をパソコンに打ったのだ。打ち終えた安堵は、一瞬の秒針の闇に隠れて、短いてんめつは、文字の背後で、尚、威嚇して、続きを打てと、命令してくる。わたしは、次の言葉が見つかるまで、いつまでも、無音の鼓動に、不満そうに、睨まれて、怯えているのだ。


       三

すずめ蜂が弱々しく飛翔して、庭のサツキに、
鮮やかな過去をよこたえる。
ふたたび飛ぶ夏は、厳かに息を止める。

寂びれた旧家で彼岸花がもえている。
かつて、夥しい訃報に熱狂した時代にも、
血の色を吐いて、もえつづけていた。

はらはらと落葉が地表をうめて、
みどりの主役は、もうすぐ骨を剥き出しにする。
死者を装う時代を、今年も迎えるのだ。

 青く浄められて―――。  

あなたが涙したとき、可憐な黒髪を強く抱いて、
共に涙した岬の、あの暑い潮騒の、高鳴る音が、
洪水のように押し寄せる。
浄められた夜が、遠い夢を走る。


       四

ステンレスの流し台の蛇口を滴る水滴が、
鋭い剃刀の刃を辿って流れ落ちるような、厳粛な夜が佇む。
幾何学模様に飾られた家の床を、孤独なアゲハ蝶が蹲っている。
滑らかな静寂は、昆虫が感じ取る、
地上の恐怖を削ぎ落として、喧噪を昏睡させている。
わたしは、真夜中の居間に、湧き水のように感覚をひろげる。

わたしは、幽霊を偽装して、心臓をもたない鳥になり、
こころは浮遊して、彼の岸の桟橋に足をかける。
鋭い限定をふところに隠す、永遠という欺瞞をはらって、
一瞬のやすらぎの映像を束ねた沈黙が、
わたしを、癒しつづける。
楕円形の手鏡の中をみると、
わたしにそっくりな亡霊が、無言の声で囁いている。
静寂は、生きている者の、
いのちの鼓動の暖かさを隠して、静かにもえている。
たとえ、死者が訪れたとしても、内部で激しく嘔吐した、
傷口が裂けた濁った現実と、対話しなくてはならず、
わたしに気付くことは、ないだろう。

浄夜を貫いて、耳の底に、みずの音が流れている。
わずかな耳鳴りのおくから、沈黙は、わたしと対話を繰り返す。

見渡せば、無言の静物には、雄弁な顔がある。

(黄色にやつれて、地球儀の食卓に並ぶ本たち。
(テーブルの平原を航海する林檎たち。
(乳房を晒して、燃える水槽に浮ぶ花たち。
             弧は、円を掬ばない。

だが、透きとおる薬剤を手にする、わたしには顔がない。
仮に、死者が背中を叩いても、
わたしには、見せる顔がない。
顔だけは、あしたの白昼の海辺のむくろの下で、転がって、
生きている乾涸びた声で泣くだろう。

      
      五



  わたしの水底を流れる―――、
美しい喪服を着た海が、耽美なみずの音を砕いて、
新しい海の声に、席を譲りつづける。
塩辛い時の水位に、さめた頬をゆだねる街が、
ひかりの雨を享けて――、
あなたは、青い水流の芯をゆく。
波は淡く、ひかりは赤く燃える写実にもえて。

敷島の萌える声。
聴こえる驟雨のいとなみ。
落日にあなたの消息を、書きしるす繊細な風土へ。

わたしは、茫漠とした夢を抱えて、
          流れるあなたの胸を追う。

静かに、枯れてゆく浜辺は、海を大空に沈めて、
痩せたしがらみを埋めつくして。

あなたは、燃えつきた挽歌を掌に包んで、
浄められた夜をゆく。



自由詩 浄夜——遊戯する断片 デッサン Copyright 前田ふむふむ 2006-10-09 23:03:32
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