クジラになった少年
佐野権太

まめクジラの水槽には
売約済みの札が貼られていた
まだ幼いのか
さざ波を飲み込んだり
小さな噴水をあげては
くるくる浮き沈み
はしゃいでいる

こっそり水槽に指を垂らすと
あたたかい上顎で
しぼるように吸いついてくる
店員が近づいてきたので
指先をぬぐいながら曖昧に微笑んで
店を出た



まどろみのなか、ほのかに漂う
磯の香りに目覚めれば
指先が鮮やかな青に染まっている
爪の隙間に小さな風を感じて
耳にあてがうと
静かな波音が聴こえた



退屈な授業は
頬杖を突くふりをして
潮騒に耳を澄ませていた
午後になると潮が満ちるから
どうしようもなく
ぽたぽた零れてしまう

白いノートに滲んだ青を
窓際の少女が驚いたように見つめている
握りしめていた手を
開いて見せると
瞳がさらに大きくなる

じっと僕を見据えたまま
机の中から抜き出した少女の手は
すべての指が
青く染まっていた



放課後
僕らは青い手をつなぎ
若い二頭のクジラになる
絡めた指から風が生まれて
細胞に織り込まれた
尊い海の記憶がよみがえる

  子宮の隔壁をさするさざ波の振幅
  懐に潜り込み暖かい乳を求める生命の純朴

  滑らかな裸体を染める残照
  低い遠吠えを放ち潜行する群青

家族のように手をつなぐ
僕らには
何の矛盾もない


自由詩 クジラになった少年 Copyright 佐野権太 2006-10-03 13:01:48
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