ひかりの憧憬
前田ふむふむ

ひかりの意志は、古い細密画の粗野を洗い、
陰影の微動を深めて、写実を濃厚にめぐらせる。
信仰の果てしない夢を、
高貴な光彩の眩しさのうえに、
振るい落として――。
古典はイスパニアの春を謳う。

愛するものを見つめる女は、
喪する静物のような憂いを湛える。
眼差しの貴賤を、硬い歴史の波に委ねてきた女は、
懐かしい古典の死者を、暗い空に埋めて、
繋がれた生は、孤独な強い感覚にしずむ。
静かな調度は、悔悛の時に、
髑髏で飾り、異形の匂いを、隈なく方位に放ち、
女はみずのように、濡れた容姿をもやす。
背後には、茫々とした荒野の暗闇が口を開いて、
黒いひかりが、乾いた草々に、乾いた岩の素顔に、
微量な清涼を流して、威風をはためかせた、
レコンキスタの止まらない汗を鎮める。

エル・グレコの姿態は、流れる筆を、
長けた潤いと輝きに染めて、
女の肉体を包む紺色を、誠実の印象に富ませる。

中世の意匠を編みこんだトレドの街は、
暗く縁取られて、陰鬱を、
ふかみどりに塗りこまれた広野に晒して。
敬虔な画家は何処までも、とどまり続ける。
にわかに、閃光を放つ空より、
暑い季節が眺望の由来を語り、
要塞アルカサルを、ひかりの湿り気で癒す。

屹立する油彩の壁に、封印された、ふるえる窓を、
白い句読点が踊りだす。
物語の炎のなかに、炙り出された、夏の巡礼が、
重ねられた、安らぎを温める。
終幕の聖ヤコブの棺をめざして――、
生まれ変われる純白の、
厚い眼差しを強めて、永遠の憧憬を歩みゆく。






(註)
レコンキスタ=イスラム教徒からの失地回復戦争
       その過程でスペイン、ポルトガルが成立する。

聖ヤコブの棺=聖ヤコブの墓がある、有名な巡礼の道の終点。
       聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラのこと。
       聖ヤコブはキリストの12使徒の1人
        

エル・グレコ=スペインの代表的な画家。


自由詩 ひかりの憧憬 Copyright 前田ふむふむ 2006-09-27 21:21:54縦
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