月の裏側には湖があって
若原光彦

月の裏側には湖があって
そこではフナがよく釣れる
月のフナは泥臭くなくとても美味である
レンズで焼くと水色に変わる
透明になる直前までよく焼くのだ
これは父の好物でもあった
あなたにも食べさせてあげたい
でもそれは叶わないだろう
あなたはここを何にも知らない

月の裏側には果樹園があって
オレンジと洋梨がとくに優れている
私の曽祖父が開墾し祖父が育てた
今では私が預かっている
虫が居ないので管理は楽だ
受粉の季節には蜂を放つ
月の蜂はとても頼もしい
そして美しいがすぐ死んでしまう
死んだ蜂は蛍のように光る
光の帯になって巣箱に帰ってくる

月の裏側には学校があって
工場と病院も兼ねている
先生と呼ばれているのは私のいとこで
彼女は美人でやや背が高い
学校ではすべてを作っており
私も何度か苗や釣竿を都合してもらった
例の巣箱を作っているのもここだ
人間や学問も作ったらと冗談を言うと
いとこは寂しそうに笑って避わす

月の裏側には図書館があって
そこには一冊の本もない
そこには必ず誰かがいて
色んな話を飽くまで聞ける
先日は老人から巣箱の仕組みについて
工具の歴史について教えてもらった
ドライバーとネジは同時に発明されたのだという
今日は私が若者にその話をしてきた
あの若者なら新しいものを作ってくれそうだ

月の裏側には砂漠があって
すべての季節が吹き込んでいる
全部の色を混ぜると灰色になるだろう
今これを書いているのもその砂漠だ
足元を雲が泳いでいく
愛らしいが嵐が来る前に帰ることにする
さっき採った虹を同封する
皿に活けるとしばらくは持つのだが
届く頃には蒸発しているだろう


未詩・独白 月の裏側には湖があって Copyright 若原光彦 2006-08-17 21:05:32縦
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