捨てられない運動靴
恋月 ぴの

どうしても捨てられないものがある
幼い頃母に買って貰った運動靴
靴入れの奥に今も大切にしまってある
いつかあなたもシンデレラになるのかなと
七歳の誕生日に買ってくれた運動靴
そういえばこの季節になると思い出す
小学校のおばあちゃん先生から聞いたはなし
わたしの担任だった先生の幼い頃のはなし
それは蝉しぐれ降る暑い夏のこと
見上げれば夕焼け空のように真っ赤で
もの凄い音が一晩中鳴り響いた長い夜が明けて
家族とはぐれてしまったおばあちゃん先生が
冬景色の野山になった街中を歩いていると
死んだ乳飲み子を抱えたおんなのひとに
どうしても水が飲みたいと頼まれて
はいていた赤い運動靴の片方で
真っ赤に濁っている川の水を運んだ
他には何もなかったんだって
他には何も手だてはなかったんだって
灰色に汚れた運動靴にたまった赤い水を
おんなのひとは美味しそうに飲んだらしいよ
あの頃は汚いなとしか思わなかったけど
大切なものは何だったのか判りかけてきた
今ならきっと判るような気がする
どうしても捨てられないものがある
今年の夏も蝉しぐれ絶え間なく降り続けて


自由詩 捨てられない運動靴 Copyright 恋月 ぴの 2006-08-01 06:40:40縦
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わたしたちの8月15日