「 ひとくちの月。ふたくちの夜。 」
PULL.







濡れた月は、
この上ない美味である。
薄く雲のかかった、
十六夜月の、
あの豊穣さといったら、
想い出しただけで、
灰色の大脳が蕩けてしまう。

満月の月は、
あまり味がよろしくない。
未熟というには、
いささか熟し過ぎており、
熟れたというには、
今少し青過ぎるのである。
口当たりの方も、
まろやかさに欠けること甚だしく、
きつい酸味が舌を刺すのが、
これまたいただけない。
あれを好んで食する輩は、
軽薄なファーストフードと、
おぞましい化学調味料漬けの、
呪われた大脳の持ち主に違いない。
昨今の世の食文化の乱れは、
我々を蝕み、
大脳を退化させている。
これは由々しき問題である。
そう想わないかね。

若い月では、
なんといっても、
三日月と上弦の月が、
最上であると思われる。
どちらも甲乙つけがたいが、
三日月は癖のない清涼な食感、
上弦の月はもっちりとした歯応えと、
それぞれに異なる特徴がある。
何れも絶品の味わいである。

十六夜月を過ぎると、
食べ頃を見分けるのが、
少々難しくなる。

立待月は酒には合うが、
ただそれだけだ。
他に何の楽しみ様もない。
期待するだけ腹が立つ。

居待月は居間に座り、
友と酒を酌み交わして、
旧交を温めるのを勧める。

寝待月は枕を高くして、
安らかな眠りを楽しむのも、
好いかもしれぬ。

更待月は更にもう一夜待つ。
それさえも出来ぬ者は、
何をしても、
何処にいっても、
何も得ることはない。

さて、
下弦の月である。
これを食さずして、
月喰を語ることなかれ。
その扱いには細心の注意を、
払わなければならない。
まず傷一つ付けることなく、
夜から月を取り出す。
これが難しい。
餓えた月の獰猛さは、
聞き及んでいるだろう。
ジョルジュ・メリエスは月に、
ロケットで穴を空けたが、
あれは満月だから許されたのだ。
もし欠けた月であったならば、
生きて帰れてはいまい。
首尾良く何とか月を取り出せたら、
ここからが腕の見せ所になる。
乾いた木のまな板の上で、
よく研いだ包丁で月の腹を裂く。
萎んだ月の腹は刃物を通しにくいが、
クレーターの窪みに沿って刃を入れれば、
意外にすんなり刃が通る。
両手が入るぐらいまで裂けたら、
中に手を突っ込んで、
臓物を一気に引きずり出す。
それを大皿の上に置いて形を整え、
天然の塩を丹念に塗した後、
塩と一緒に瓶に詰める。
そして三日三夜寝かせれば、
下弦の月の塩辛の完成である。
これに比べれば、
あの太った鵞鳥の、
肥大した醜い肝臓など、
野暮ったくて、
到底食べられたものじゃない。
ひとくち食べれば、
誰だってこの虜になってしまう。
聞いた話では、
中国のとある皇帝が、
仙人の悪戯でこれを食べ、
病み付きになったあげくに、
国を滅ぼしてしまったのだそうだよ。

おや、
どうしたんだね。
今すぐ外に飛び出して、
今宵の月にかぶりつかんばかりの、
顔じゃないか。

しょうがない。
君と君の連れ合いのためにも、
これだけは言っておいてあげるよ。

いいかい。
この話を聞いたからといって、
自分で再現してみようなどとは、
夢々想わぬこと。
これを肝に銘じて欲しい。

君が先週しでかした、
一夜の戯れとは、
住む夜が違うのだ。

ひとくち間違えば、
月にひとくち、
夜にふたくち、
喰われてしまうのだぞ。












           了。



自由詩 「 ひとくちの月。ふたくちの夜。 」 Copyright PULL. 2006-07-30 12:43:55縦
notebook Home 戻る