酔っ払って歩道橋で叫ぶお父さんを見つめる娘の彼氏の元カノの可能性についての考察
千波 一也

   
   地球は絶えずまわり続けて
   そのうえに
   わたしたちは絶えず揺れている





或るおとこの背広が
夜風に揺れている
その内側では
同様にネクタイも揺れていて
さらに首を締め付けたいのか
またはそこを離れてゆきたいのか
いずれにせよ
おとこはアルコールをあおり過ぎているから
夜風の温度の適度なところを
探し
探して
息継ぎのままならないクロールさながらに階段を踏む
そのたびに
背広は揺れネクタイも揺れ
そしらぬ素振りの歩道橋がわずかに軋む



或るおんなは立ち止まる
遮断機が下りてしまったから否応なしに立ち止まる
列車はまだまだ向こう
いつもなら強行突破をするところなのに
ついさっき分かれたばかりの温もりに微笑みたくて
夜風に髪をなびかせている





少しだけ高い歩道橋からは少しだけ遠くが見えるから
あちら、そちら、と
向こうの暮らしから順番に
おとこは数えている


おんなの瞳はいましばらく留守だから
線路脇の草たちがお辞儀を始めていることに気付かない
もうまもなく
列車が通る






歩道橋のしたを列車が往く
おとこはその音に振り向くがそこは既に過去である
しかしそんなことには慣れたもので
おとこは再び遠くを数える
少しだけ遠くを

ただし今度は
窓辺の灯りではなく街路灯の色でもなく
確実に消えてゆくテールランプだけを
おとこは数える



遮断機と遮断機のあいだには
やはり同様に遮断機がある
それは無数に破壊されてゆくけれども
きっと悲しみの類ではないだろう
おんなの目の前を
たぶんに
目の前を
列車が通る

残像の残像だけでも見えただろうか
小さくなってゆく最後尾の車輌をみつめながら
ひとつの恋の未来について
おんなは思案する



  おとこは一人の父親である
  あらゆるものを背負いすぎて
  手のひらのなかの檸檬はただ、赤
  清くはない血のような

  おんなは一人の娘である
  あらゆるものに護られすぎて
  手のひらのなかの檸檬はまだ、青
  日ごとに変わる空のような



空の星座は無数の夢たちが揺れる地図
そのたもとでいま
一つの列車が走り抜けてゆく
辺りを揺らして
己も揺れて





或る交差点の信号が
青から赤へと移りゆく
あ、
その中間に黄色があったことをどうか忘れず
個性豊かに
普遍的に
檸檬は黄色であるように

たとえば
ハイヒールとコンビニ袋と銀色の指輪
彼女たちの
これまでについては誰も何も知らない
ただ一つ
信号が青へ戻ること
或いは青へ辿り着くことを待つことのみが共通点
たとえば
化粧ポーチと綺麗な手帳と小さなバッグ
彼女たちのこれからもまた
誰も何も知らない



  汽笛はきっと声であろう
  歓喜や嘆きや祈りを乗せて
  誰の耳にも聞き取られることなく
  それはもちろん
  汽笛に限らないけれど
  もちろん限らないけれど





酔っ払って歩道橋に立つおとこは
叫んでいたのだろうし
叫んでいなかったのだろうし
視界から遠ざかる車輌をみつめるおんなは
誰かの背中を想ったかも知れないし
想わなかったかも知れなくて
ただ確かなことは
交差点の信号は必ず黄色を通ること
個性豊かに
普遍的に
檸檬は黄色であるように



   
   地球は絶えずまわり続けて
   そのうえに
   わたしたちは絶えず揺れている

   そして同時に
   つながっている













自由詩 酔っ払って歩道橋で叫ぶお父さんを見つめる娘の彼氏の元カノの可能性についての考察 Copyright 千波 一也 2006-07-06 18:29:58
notebook Home 戻る