彼女は死んだ
たたたろろろろ

「もっしー?」

「もしもしもしもしー?」

「はは、けんちゃんまだそれやってんの?」

「やってるよ流行らせるよ今年あたり」

「は、そっかぁ。じゃああたしもやろっかな、もしもしもしもし、ってさ」

「うん、やんなよ最先端娘なんだし」

「や、違うからやめた。って、けんちゃんいつFOMAにしたの?」

「ん。昨日。そういや俺、初テレビ電話」

「なんとなくやってみたらテレビ電話できたの。普通教えるでしょ、そーゆーこと」

「や、番号とアド不変だし、且つ普遍だし」

「まぁ、そっか。いーや別に」

「あれ、なんか怒った?」

「別に。でも顔見れてよかった」

「ん。なにどうした何かあった?」

「ううん、なんも」

「ふーん。で、何してた?そこ台所?」

「うん、ダスター漂白してた」

「ああ、鳥屋の経験を活かして?」

「はは、うん。そう。活かしてねー」

「ははは、ブリーチ見せなくていいから。で?」

「ん?」

「や、なんか用事あったんじゃないの?わざわざテレビ電話で」

「んー、いや特別ないんだけど」

「そう?ああーおれ実は仕事中なんだわー」

「え、わかってたよ背景思いっきり鳥屋じゃん」

「あ、そっかテレビ電話だ」

「はは、慣れてないしー」

「うん、で、仕事中だから、また今度掛けるねー」

「ええ?冷たくなぁい?」

「やーしょうがねーじゃんよ」

「わかったよーじゃあね」

「おう、またねー」



 って、その彼女は死んだ。俺がそれを知ったのは電話の翌日のことだった。葬式に出て通夜に出た。死因は中毒死。漂白剤を大量に摂取したのだという。警察は携帯電話の発信履歴から俺に電話をかけ、任意で事情聴取を求めた。俺は承諾した。

「西村唯さんとは、どのようなご関係なのですか?」
「友達、、です」
 事情聴取を担当した警官・園は俺に対して斜めに座り、調書を眺めながら常に煙草をふかして顔を顰めていた。煙草が充分短くなると灰皿にぐぐいと押し付け、すぐに新しい煙草に火を点けた。それのエンドレスリピート。
「友達、と。電話ではどんなことを話したんですか?」
「他愛もない話でした。話とは言えないようなものでした」
「具体的には?」
「今何してる?とか、あとは本当に内容のないことでした。私は仕事中だったので、あまり構ってやれなかったのです」
「ずいぶん冷静だねぇ。友達が死んだってのに」
「実感が沸きません」
 そう、実感が沸かない。今の俺には、ずんずんと丁寧さが失われていく園の話し方に対する違和感ばかりがあった。あと、いつ煙草のエンドレスリピートが解除されるのか、と。
「そうか。ええと、あの、西村さんとは頻繁に連絡は取ってた?」
「いえ、たまにです」
「あまり近しくはなかった、と?」
「いえ、あの、、、私と唯は以前……2年くらい前でしょうか、付き合っていました。別れてからはあまり連絡を取っていなかったのです」
 園は俺の目をしっかりと見た。俺は初めて彼の顔を正面から見たのだが、それが先程までのやる気の欠片もないものから、一瞬にして好奇の色に染められたのを強く感じた。慌てるようにして煙草をぐぐぐと揉み消して言う。
「元カノって奴か?」
「はぁ、まあ」
 言葉を選べ国家公務員。で、そこで煙草リピートは解除か。彼の興味の対象はきっと「彼女の自殺の理由を明らかにしたい」だとか「西村唯は自殺ではない。こいつが殺したに違いない」などといったものではなく、単に「面白くなってきたぞ」的なものである。俺はなんだかこの警官とまともに話をするのが急に嫌になる。
「ああ、のぉ、私情のもつれとかあったんじゃないのか?結構いい女だったろ唯ちゃん」
「ええ、いい女でしたよ(唯ちゃんって!)」
「未練とかあったんじゃないの?」
「そりゃまぁ」
「はは、正直なのはいいことだ」
「はは、そうですよね。正直者なんですたまにバカを見るんです」
「で、まあこっちもぶっちゃけちゃうとさぁ、別に警察としては君に話なんか聞かなくても良い訳よ。状況から見て、唯ちゃんは自殺で決まりなんだしでもまぁ慣例として?で、話聞いてみたらちょっと面白そうじゃない」
「で、もういいですか?」
「え、なに?」
「だから、帰っても?」
「いやあ、だから、もうちょっと話聞かせてよ面白いとこじゃない」
 わざわざ園を楽しませる理由は俺には全くない。それ以前に俺が不愉快であった。俺は帰り支度をはじめながら言う。
「趣旨もずれてきていますし、あんまりここが長いと読者も引くんで帰ります」
「ああ、なんだそれ?」
「私にはやることがあるのです。唯の弔いのために」
 そう吐き捨て、煙草の煙の充満した、整頓されているが酷く汚い印象を与える部屋を辞した。

 俺は帰りがけに100円ショップへ寄り、淡いグリーンのボトルに入った液状の漂白剤を一本買った。
帰宅して台所に立ち、漂白剤をビニル袋から取り出す。唯はこれを大量に飲んで死んだのだ。

 唯が死んだ。

 この漂白剤を見ていると、葬式に出ても通夜に出ても事情聴取を受けても全く気配すらなかった実感が湧いてくる。

 テレビ電話の粒子の粗い画面。馴染み深い疲れた笑顔。唯が手に持っていた漂白剤。

 その光景が頭から離れない。唯は何故、漂白剤を飲んでみたりしたくなったのか。何故そんな阿呆なことをしようと思ったのか、実行してしまったのか。

 唯を殺した漂白剤と同じ物が、いま俺の手にある。俺はそれをミッキーマウスのグラスに注ぎ入れる。陽気な凶器である。
それを少しずつ口に近づけていく。グラスの縁が、一滴の漂白剤が唇に付着して、ぴりりとした予想以上の刺激の強さに、グラスを床に落として割ってしまう。 唯はこれを大量に飲んだ? オットコマエにも一気飲みを? 考えられない。

 すごいな、と素直に思った。凄い阿保だ。思えば、もとより多少おかしな所のある娘だった。
 
 付き合っていた頃のことだが、ドンキホーテで買い物をしていて忽然と居なくなったと思ったら、ローションとバイブを万引きしてきたり、街を腕組みして歩いているとき唐突に「あーアンパンマン録画忘れたー」とか「誰かノーベル賞くれないかなー」などと大声で独り言を言ったりするような娘だった。

 そんなおかしな娘だったけど、俺は好きだった。愛していたし、たまに遊んだりすると楽しかった。幸せになって欲しいと思っていたが、唯を幸せにするのは俺ではないとも思っていた。
 唯は俺の手には負えなかった。好奇心が旺盛で、束縛を嫌い、自由であった。彼女の背中に羽が見えることさえあった。短かった恋人同士の期間の後のほうでは、唯は完全に俺に飽きていた。浮気を繰り返しては、俺のほうから別れの言葉を切り出させた。

 別れた後も唯はたまに連絡してきては俺を、二人で7時間軟禁カラオケへと100円ショップへとブランドショップへとペットショップへとドコモショップへと連れ回したが、あれは何だったのだろう。漂白剤を飲む前に、俺に電話したのは?
そういえば、唯はあの電話で『顔見れてよかった』と言った。付き合っていたときでさえ『けんちゃんの顔って全然好みとかじゃない』とセックスの最中にも平然と言っていた唯がだ。やはり何かあったのだろうか。飲みたくなったから飲んでみたら死んじゃった、という唯らしいオチじゃ終われないのか。俺に何かを訴えたかったのだろうか。俺が仕事中じゃなくて、いや仕事中でも、大事な唯のためにきちんと話を聞いていれば、こんなに馬鹿馬鹿しくもやりきれない、悲しい事にはならなかったのだろうか。

 俺はふと床に目をやる。砕かれたミッキーマウスが漂白剤にまみれて、それでも笑っている。くそ、俺の悩み、悲しみを少しも理解せずに笑っていやがる。

「ハーイ、ぼくミッキーだよぉ」

 似てない。声マネ似てないし。こんな時になんだと言うのだ。

「君はちっとも悲しんでなんかないんだよぉ。ただ責任逃れしたいだけなんだよ認めなよぉ」

 何を言うか。顔など、すっかり割れて崩れてしまっているくせに、高い声を出しやがって。声が高ければミッキーに似ているとでも思っているのか。目玉の親父と一緒か。

「いろいろ理由をつけては、唯ちゃんの自殺を自分のせいじゃないって思い込もうとしてるんだよぉ認めなってぇ、結局君は唯ちゃ」って、俺はミッキーマウスを踏み潰す。更に粉々に踏み潰す。口が利けなくなるまで踏み潰す。憎らしい笑顔がわからなくなるまで踏み潰す。足の裏から血が流れてきている。漂白剤が傷口に沁みる。激痛。俺は気にせずに台所を後にし、机の前に立ち、日記帳を開き一行書き入れる。激痛のため文字と顔が歪む。

『西村唯、好奇心に負けて漂白剤を大量に溜飲。殉職』

 俺はこれだけ書いて椅子に座り、痛みを紛らわすために『太陽にほえろ』の音楽(テュルトゥ〜、テュルトュ〜)を口笛で吹こうとするが、吹けない。俺は口笛が吹けないタイプの人間だった。グラスを踏んだほうの足の裏は、血まみれであった。

 破片を取り除こうと手をかけ、最初に摘まんだのはミッキーマウスの目の部分で、そいつは相変わらず俺の内面を見透かすような笑みを浮かべていた。









散文(批評随筆小説等) 彼女は死んだ Copyright たたたろろろろ 2006-06-25 15:47:55
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