詩を料理と例える詩人と絵とする詩人の対談
海月

詩を何かに例える人がいます。
それは、人によって異なります。
当たり前ですが、何も例えない人もいます。
そんな中のある二人の対談です。

詩を料理とするの人の心構えはこうです。
「単語は料理の材料で、詩とは料理である」
と、心と顔に出している。

詩を絵とする人の心構えはこうです。
「白紙の紙に写す単語は下書きや構成であり、詩とは完成した絵である」
と、手と目で訴え語る。

二人の詩人は、それぞれ違う心構えをしているが、最終的な結果は同じ物を書いている。
が、二人は、そのことに気づいていないようだった。だけど、二人はいつも互いを語っていた。
しかし、そんなある日に本音で話す時が来た。


料理詩人は、こう言い対談は始まりを告げた。

「君の描いている詩を絵としてるが、その絵とは完成していないので絵とは呼べない
 私が言いたいのは、私がその絵に筆を付ければ、新たな絵としてかんせいを迎えるので、絵ではない」

絵描き詩人は、こう答え質問をした。

「確かに、それは在る。だが、君の考えも違和感を覚える。
 料理であるのだから、僕がその料理に調味料を加えれば、味が変わる。
 ならば、その料理は君が作ったものではなくなるのではいのか?」

料理詩人は答えた。

「私以外の第三者が何かを言ったらどうする?
 何かと文句を言う批評家や価値を出したがる評論家などに、何か一言を言われたら?
 それが、相手の筆だったらどうするのか?
 それでも、君の描いたのは絵といえるのか?」

絵描き詩人は、少しの沈黙の後に答えた。

「その質問は愚問だな、
 僕はその一言を参考にしか捉えてないからだ。
 例え、それが筆だろうと関係ない
 その絵は、模写でしかない
 本物はいつも違う場所に在るからな。
 そもそも、君の料理の説も謎がある。
 料理であるのなら、食べれば終わりでしかない。
 つまり、君の詩も一度読んでしまえば終わりでしかないのでは?」

料理詩人は、少しの間を調理した。

「あぁ、そうだ。食べて終わりでしかない。
 ただ、気に入った料理は人間は何度も食べたくなるものである。
 そうすることは、もう一度読むことに繋がる。
 その点、絵はどうだ?」

画家詩人は、大きなキャンバスを持ってきた。

「絵は一度見れば、心や頭や目に焼き付く
 どこでも思い出し描ける。
 忘れたのであれば、また、その絵を見れば良いだけの事。
 料理に比べれば効率が良いだろう」

少しの口論が続きます。
(中間省略)

二人の詩人はこんな案を出してみた。
二人の立場を逆にして、どちらが悪いかを批判する。
そうすれば、どちらが良いか気づくためである。

数日後のこのテーマで話をしたら、言っていることが相手と同じになった。

結論、最終的に二人は「詩」を書いているので、その心構えは何でも良かったみたいです。
未来が同じならその道はどれを選んでも同じである。
そんな感じがしました。



散文(批評随筆小説等) 詩を料理と例える詩人と絵とする詩人の対談 Copyright 海月 2006-06-20 21:48:57
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