桃源歌
田代深子

まっていたおもいすらする懐かしい驚きは
鼻の奥から桃の実の香をともなって
額のさきへとつきぬけふきだした
馴染みぶかいあの痛苦のみなもと
乳白と鮮赤の漿と沫がまじりあい
桃色の滴となって地に蒔かれた
金輪際の痛苦は消えたのだ
さらにわたしは君にこいねがう
その一抱えの岩であまさず砕いてくれ
ていねいに眼球のガラス片も残さずに
頭蓋をつぶしながら土へ擦りこみ

唱えてくれ

 春に咲く花々のなかに吾はなし
 その実の種の仁の憶へと沈澱す

そうだ

わたしの頭部をきれいに砕き終えたら
二本の腕と脚を関節ごとにもいで分け
小さな部分は鳥と爬虫類に
大きな部分は哺乳類に
腹を割いて臓腑を水生のものたちに
それでも残るものを微小の虫たちに
撒いてまかせてしまえあまさず
すまないが手間なのはそこまでだから

わたしの頭を砕いた君よ泣くことはない
痛苦を分泌する部位は失せ素軽く
ほらこのように話しもできる
これまでは顔があり口があり耳があり
眼を合わせていながら話せずにいた君と
話をしよういまこそ多くを
あの新しい唄や君の好きな娘のことを

いま眼の失せたわたしに視えている暁光は
清涼な桃の実の香である
耳なきわたしに聞こえる音は淡い甘み
歌いたいのだ君の喉を借り

 土籠もり頓服されめくるめき飛ぶ
 いずこの種の場も吾がところなり

そうだ
君のゆくところも





2006.5.4


自由詩 桃源歌 Copyright 田代深子 2006-05-04 02:19:42
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