いのちの荒野—不毛の夏
前田ふむふむ

白鳥が悲しい最後の鳴き声をあげて飛び立つ、
夕暮れの鮮烈ないのちの地平線が、
赤いインクで跡形も無く修正されてゆく。
絶えず流れ出ている蒸留水の蛇口に、
コップを置いて眺めても、
決して溢れ出すことがない。
適量の寒々しい冬が、
剃刀の上を滴る血液の絶叫のなかで、
煌々と目覚めている。

燃えるような熱が昇華しつくして、真率な時間が消え去り、
わたしは、生も死も馴染まない、曖昧な広大な荒野を、
ひとり少年の儘の姿をして、誰一人としていない廃墟の前で、
うな垂れている。涙も忘れて、暗い紙のようなからだは、
風に吹き飛ばされようとしている。
そこでは、過去の音階が、
楽譜の上に演奏できない音符を書きしるしてある。
過去の写真アルバムには、
顔の無いわたしの姿だけが写しだされている。

世界は深い眠りのふところで、
水底の目覚めの春に浸ることなく、
赤い血の末端すら燃えていない、
不毛の夏を迎えている。

わたしは、この血液が過去の僥倖に巡りあうことなく、
過去のかなしみに浸ることもなく、
いまという祝祭的な現実を
失われる過去に葬らなければならないのか。

まもなく、最終の列車が殺伐とした意識の荒野の、
プラットホームにやって来る。
わたしは、かならず乗らなければならない。
終ることの無い長い旅になるかもしれないだろう。
朦朧とした夢のような時間のなかでみた原野で、
悲しく虚無を抱えて蹲るわたしに会いに行くのだ。
そして、うな垂れているわたしに、
そっと、やさしく手を差し伸べるのだ。
そのことのために、わたしは、この乾涸びた姿で、
目まぐるしく変転する季節の足取りを踏みしめるのだ。
いまという、瑞々しい果実を、この貧しく倒立している、
いのちの勾配のなかで、噛みしめるために。
いまという、青々とした
潤沢な精神の春を迎えるために。

手折った鳥が不安な眼で飛び立つ。
      空は、無言に色づいている。




自由詩 いのちの荒野—不毛の夏 Copyright 前田ふむふむ 2006-04-29 07:50:10縦
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