男のいる職場
佐々宝砂

女子高でてから十ン年間、ずーっと女の花園みたいなところで働いてきた。だから女ばかりの現場には慣れている。女特有の(と思われている)陰口いじめ噂話嫉妬、家庭や生理を理由にした甘えだらしなさ腕力不足そのほかもろもろの女性的マイナス面、そんなもん慣れりゃ別にどーってことねーぜーと思ってきた。

しかしなあ。男のいる職場で働いてみると思う。男もだらしないじゃん。男の中にも噂話好きの陰口好きっていっぱいいるじゃん。体力なくてだらだらーなやつもいるじゃんかー。とはいえ、まあ、そんなもんなのだろう。男だっていろんなやつがいる。すぐ隣で腕力不足身長不足ゆえ難渋してるのに、ちっとも手伝ってくれないやつもいる。気がきかないだけなのかもしれんが、なんてやつなんだろーと思ってちっと驚いた。私はまだまだ男性というものに幻想を抱いていたらしい。

それでもなかにはいい男もいて(容貌がよいわけではない)、でかい荷物を持て余してるのをみると積極的に手伝ってくれたりする。そーゆーのは女ばかりの現場ではまずありえない。いや、正しくいえばあるんだけど、女ばかりの現場で「その荷物重いだろ、持ってやるよ」と言うのは他ならぬ私自身なのであった。女性十人いたら、私はたいてい一番か二番に力持ちで、私が持て余してる荷物を一人で持てるよーな女性はめったにいない。よって、私にも持てない荷物は、女性だけの現場では、何人かの共同作業で持つしかないのである。

女だけの現場で、私は甘えることができない。特に甘えたいと思ったこともない。自分の方が力があるなあと思うから荷物を持つ。できることはやる。できないならできないなりになんとかする。当たり前の話だ。

だがその私なりの「当たり前」が、男のいる職場では崩れる。自分の手に負えないほどの仕事じゃないのに、やってくれる男がいるのでやらせてしまう。そして私の仕事は楽な仕事ばかりになってしまう。それが不満というわけじゃない。もっと仕事をさせろというわけでもない。ただ、こんなに男に甘えてばかりいると身体が鈍るなあと思う。男が多い現場仕事はあまりにもらくちんだ。なまぬるーくらくちんだ。でもそれでよいのかしら。よいのかしら。

私は、有袋類のフクロオオカミみたいな存在なんだと思う。有袋類の中では強い。でも本物のオオカミより弱い。本物のオオカミがきたらフクロオオカミはあっさり負ける。さらに困ったことには、現実の男とゆーものはオオカミより優しいので、重い荷物を持ってくれちゃったりなんかするのだ。コアラのよーに可愛さをふりまくタイプでないフクロオオカミ佐々宝砂は、「有袋類の中では強い」という自分の個性を失い、らくちんなぬるま湯のなかで軟弱化する。

とゆーわけで世の男どもよ、私に優しくしないように。私はフクロオオカミみたいに絶滅したくはない。


散文(批評随筆小説等) 男のいる職場 Copyright 佐々宝砂 2006-04-19 08:55:48
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