異形の詩歴書 高校編その1
佐々宝砂

 本ばかり読んでいて勉強というものをまるでしなかったので、学校の成績は芳しくなかった。テストの成績は悪くなく、進学校にも行けないことはない、と言われたのだけれど、いかにせん、遅刻と欠席の回数が多すぎ、内申書の点数が悪すぎた。そこで私はワンランク下の女子高を受験することに決め、勉強は投げた。本当に何もやらなかった。しかし運がよかったのか、それともその女子高がたいした高校ではなかったせいか、私はなんとか高校にもぐりこむことができた。

 私は学校に何の期待もしていなかった。教師という人種が好きになれた試しはなかったし、学校行事も施設も楽しめたことはなかった。友人も遊び友だちに過ぎなかった。しかも女の子と遊ぶくらいつまらないことはないと思っていたので、女子高を受験することが決まった時点でひどく投げやりな気分になっていた。どうしてこんなとこに入ることになったのか、ああつまらないつまらない、何もしたくない、もう死んでもいい、だけど死ぬのもめんどくさい。そんなことばかり考えていた入学式の当日、私の機嫌は突然よくなった。

 図書館があったのだ。田舎の高校としては非常に充実した、柔らかい本も硬い本も取り揃えた広い図書館が! 入学式が終わったあと、私はクラスメートの顔も名前も確認せず教室を飛び出て図書館に行った。見たこともない本がたくさんあった。名前しか知らなかった本もあった。うつくしい本も恐ろしい本もあった。私は驚喜して本を借りようとした。……しかし借りられなかった。新入生のカードはまだ作成されていなかったし、図書館には誰もいなかったからである。下校をうながすチャイムの音が聞こえてくるまで、私はぽつねんと図書館のカウンターに向かって座っていた。

 いま私は、あの学校図書館よりもたくさん本のある図書館を知っている。そんな小綺麗な図書館の小綺麗なカウンターに数冊の本を置いてお願いしますと司書に言うたびに私は、高校図書館の小汚いカウンターを思い出し、私が16歳だったこともあったのだと考える。もう、あのとき感じたようなおののきを感じることはできないのだと考える。


 部活動が強制加入だったから、どこのクラブに入るか決めなくてはならなかった。中学生のときブラスバンドでホルンとトロンボーンを吹いていた私には、〆切ぎりぎりの5月になっても管弦楽部から勧誘がきた。女子高なので金管楽器経験者が少なくて、私は「貴重な人材」だったのだ。しかし私は、ちょっと運動会系的なところのあるブラスバンドがキライになっていて、高校に入ってまで続ける気はなかった。そうでなくとも私には、ここに詳細は書かないけれども、音楽に対する自信を失わせた疾患があった。

 音楽がダメだとしたら、何がいいだろう? 文芸部という選択肢がちらと頭をよぎった。しかし私は、日記以外にまとまった文章を書いたことがなかったし、自信もなかった。私に小説や詩が書けるはずがない。かたくなにそう信じて、疑わなかった。実際、書こうとしたことさえなかった。私には書けない。私にはできない。小説も詩も、選ばれた特別な人だけが書く特別なもので、私はそれを享受するだけなのだと信じていた。だから私は文芸部をあきらめた。

 私は結局、天文観察を主な活動としている「物象部」という部活に入った。この部活には部室がなかった。人気もなかった。しかし、ばかでかい傘を広げて投影するちゃちなプラネタリウムと、口径30センチの反射望遠鏡を備えた小さな天文台を持っていた。


 当時の私が書物以上に愛を捧げていたもの、それは「天体」だった。空にあるものはみんないい、と稲垣足穂が書いた、その言葉をそのまま飲みこんで、私は毎日毎日飽きもせず夜空を見、星空に関する本を読んだ。日本の星の古名についての第一人者野尻抱影が書いた本も愛読した。ギリシャ神話はもちろん基礎文献、それだけじゃ足りなくてアラビアの伝説から中国の伝説、太平洋のちっちゃな島の伝説までチェックした。

 私がいちばん愛した星座の本は草下英明の『星座手帖』である。この本は、星座紹介の前にいちいち小説や詩からの引用文が載っている。私はこの本ではじめてマラルメに出逢った。それは「秋の嘆き」の最初の一文だった。ラフォルグを知ったのもこの本だったと思う。稲垣足穂の文章もこの本に引用されていた。今もうこの本が手元にないので定かでないけれど、カラス座の項目に引用されていたはずだ。

 私は星座の中でカラス座がいちばん好きだった。地味なカラス座、バカバカしくも情けない伝説を持つカラス座、「まあ可哀相」と稲垣足穂の文章に書かれるカラス座、暗い星ばかりで、しかしこぢんまりとまとまって妙に印象に残るカラス座……なまぬるい春の夜空に、カラス座はヨットのような姿を輝かせて浮かんでいた。どこかに進んでゆくかのようだったけれど、次の日も、そのまた次の日も、同じ空に浮かんでいるのだった。


2002.7.(初出 Poenique/シナプス)


散文(批評随筆小説等) 異形の詩歴書 高校編その1 Copyright 佐々宝砂 2006-04-18 08:19:36
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