異形の詩歴書 〜12歳
佐々宝砂

 11歳の年に、私の人生は暗転した。何がどう問題だったのか、私は詳しく書きたくない。私はそのできごとについて様々なかたちで詩にしている。勝手に想像だか妄想だかをふくらませてもらって、かまわない。ともあれ私はどうしようもなく人生に絶望し、学校にゆくのをやめ、ひとりで山をあるいた。ホラー『あんただけ死なない』のあとがきにある森奈津子の山での体験は、そのころの私の体験そのままであって、全くひとごとではない。

 絶望しながらも、私は本を読むことをやめなかった。私が学校に行こうとしないうえあまりにも本を読みすぎるので、両親は心配して私を児童神経科に通院させ、本を読むことを禁じた。しかし、もう読書をやめるのは無理だった。私は小学生のうちに稲垣足穂を読んだし、馬琴も西鶴も読んだ。宮澤賢治も柳田国男もおなじころ読んだ。足穂の『一千一秒物語』と賢治の『銀河鉄道の夜』と柳田の『遠野物語』が大好きで、私はそれらを繰り返し繰り返し読んだ。

 けれど当時の私が何よりも好きだったのは、アストリッド・リンドグレーンというスウェーデンの作家が書いた児童文学である。私は、アメリカに憧れを抱くまえに、スウェーデンという国に憧れをおぼえた。北国の厳しい気候と、野営の焚き火と、「あってはならない戦い」と革命と竜と蛇と妖精とみずみずしい春と……そして「どこにもない国」。11歳にして人生に絶望してしまった人間が、そんなものにあこがれてしまうのは、ある意味で当然のことではないか。

 お情けで小学校を卒業した私は中学に入った。学校に行ったり行かなかったりのんべんだらりの日々が続いていたけれど、それでも小学校のころよりは学校に行くようになったので、読書禁止令は解かれた。禁止されても禁止されても本を読みまくっていたから、禁止令が解かれたと言ってもたいした意味はなかったが、再び本を買ってもらえるようになったことが嬉しかった。

 中学一年生の冬、私は、メアリ・ド・モーガンという童話作家の『風の妖精たち』を買ってもらった。いわゆるフェアリー・テールの系譜に連なる童話だが、童話のくせに情動が烈しい。しかも文章と挿し絵がどこか艶である。私は、その挿し絵が19世紀末のラファエル前派に属する画家の手になることを解説で知った。それをきっかけに、私の興味は19世紀末のヨーロッパの芸術へとうつりはじめる。私は中学校の図書室でボードレールとリルケを借りた。特にボードレールの「異人」が好きだった。私は新潮文庫の『ボードレール詩集』と『リルケ詩集』を買った(それが生まれてはじめて自分で買った詩集だ)。

 しかしなお、私は母の支配下にいた。私が『マルテの手記』を借りてきて読んでいると、母は、「おまえもそんなもの読む年になったんだねえ」と言い、『怪奇小説傑作集』を読んでいると、「ああ、それが面白かったのなら、ラヴクラフトも読むといいよ」などと言った。全くおそるべき母なのである。怪奇と幻想とSFと江戸と中国と俳句の世界にいる限り、私は母を越えられそうになかった。しかし、母は、ボードレールをまるで知らなかった。私は母の束縛を逃れ、少しずつではあったが、自分好みのものを見出しつつあった。


2001.3.27.(初出 Poenique/シナプス)


散文(批評随筆小説等) 異形の詩歴書 〜12歳 Copyright 佐々宝砂 2006-04-14 02:02:17
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