偽・大洪水—散文詩
前田ふむふむ

        1
ひかりがなく照っている太陽は、世界の黄昏を
予言して、黒いかなえた起点を、再びふまずに、西を眺めながら、海が飲み込む土地をたんねんに探していく。太陽は、誰もみたことがない、隠してある不毛の記憶を、風貌を世界に発信している。
        2
見知らぬ島では、猿たちがお互いに首を絞め合っている。深く傷ついている白鳥は、みずから、みずうみにその身を沈めてゆく。病気で動けない小鹿は、鳥兜の毒を食べていのちを絶つ。あわただしい殺戮の朝が狂気をたずさえて続いてゆく。動物たちは、世界の終焉が近いことを本能でさとり、新たな旅立ちをするために、その苦難に耐えられないものの無言の抹殺が、動物のおさたちの命令で行われているのである。
        3
今日こそは世界中の海が溢れて、森を押し流してしまうと信じる動物たちが、不思議なほど静かにしていて、いつものような殺戮と殺戮にともなう緊張した息づかいが感じられない、それは、動物たちが、すでに、森から逃げ去ったからだ、動物たちにしてみれば、人間との確執のために、どんなに過酷で、惨めな仕打ちにあい、虐げられてきたか、それは、深い歳月を刻み込んでいる、森と動物たちだけが知っている、だから、大洪水の受難の日には、人間と決別して、洪水のおよばない世界である最も高いところに、動物だけの楽園をつくろうとしているのである、太陽が血の色に染まり、海のうえに、ぼんやりと鬱蒼とした森林の亡霊が、揺らめいている日に、動物たちの大きな群れが、雲のうえの大いなる高みを、めざして歩みを進めている。
        4
人間は大洪水が訪れることを恐れて、月を神と信じるおさたちの命令で、魚に化装して、次々と海に飛び込み、深い海底にへばりついた、海底の心地よい冷たさは、人間たちのこころを蝕み、地上の霊長類の記憶を少しずつ忘れさせていった、一方、太陽を神として信じる少数の慎重な人々は、密かに森に行き、木々を砕いて、多くの労苦に耐えて、大きな箱舟を造って、大洪水に備えた、それは百二十年の期間を要した。造り終えた人間たちは、周到な準備をしてから、息絶えていった、暁をいっぱいに浴びた、箱舟は広々とした平地の溝に用意されている、それは、八人の子供を箱舟の柱に縛り付け、「人間は死ぬために生きるものであり、死にむかって時間のなかを存在する生き者である」という命題の毒杯を与えて、寂寥とした荒野にひかりを、さしている太陽に生贄として、さしだした、死にむかって生きる者だけが乗る船である。
        5
それは、太陽神にたいする海に住む人間たちの救いの儀礼であった、だが太陽神は、八人の子供たちを選んだのである。
        6
箱舟に乗せられた生きる者は飢えと渇きをいやすために、柱の縄を解いて、波のない淀んだ海にいき、魚を捕っては食べた、その腸と骨はまとめられて水葬にふされた、やがて、魚の腐敗した腸と骨は海を汚染して、疫病をはやらせて、海面を魚の死体が覆いつくした、箱舟の生きる者は、世界の終焉の灯台を、灯している自分たちにせまる飢餓の恐怖と、かなしみに乾涸びた冷たい肌を合せあって泣いた。海は人間の広大な墓場になっていた。
        7
動物たちは、雲を越えて、どこまでも青い空に、辿りついた、ほとんどの動物がすでに淘汰されて、多くのしかばねをあとにして、わずかなものだけが残っていた、
大洪水は来なかった――
動物たちは何も得る者が無く、遥か高みで茫然として佇み、絶望を貪りながら、激しく泣いた、やがて、どこからともなく訪れた強い風に吹かれて、残ったわずかなものは、寄り添い、重なりながら、青い空の中の溝に落ちた、そこには、死にむかって生きる者が乗る箱舟が、八人の子供たちを乗せて、太陽に照らされて、怪しく、据えられていた。
        9
    *****
世界中を覆う朦朧とした空気は、不安と動揺を隠しながら、こうして、人間と動物とは深い断絶を、超克して、不思議な物語は、封印されてひからびた化石になり誰も知らない深い森の奥に眠っている・・・・・・・・。

         ・・・と盲目の預言者は語った






自由詩 偽・大洪水—散文詩 Copyright 前田ふむふむ 2006-03-12 12:21:18縦
notebook Home 戻る  過去 未来