モーツアルト
前田ふむふむ


曲線だけで描かれたノマドの世界に、わたしはモーツアルトの直線をさしいれる。忽ち、あざやかな弧を描く、世界の始めが出来て、終わりが作られる。弧からひろがる秩序は、溢れるほどの音符を創り出して、お互いが織物のように絡み合いながら、わずかな一片の楽譜のなかで晴れやかな宇宙を語り始める。
その饒舌な音の共鳴は 白い馬になり、草原を軽やかにかけわたり、みずうみの透明な水面を、爽やかな風になり揺り動かして、空高く飛び立つ雲雀の声になり、朝の山々をひびきこえる。

神童の快活なまなざしよ。
あふれる旋律の赤く燃ゆる純潔のいぶきよ。

    ***
わたしは亡霊にとりつかれた夢遊病者の顔をして、青い洋館のテラスでベンチに横たわっていると、奥まった静けさの中から 室内合奏の楽器群があらわれて、穏やかな音楽を奏ではじめる。

暗闇の白さが立ち上げるアダージョ。
打ち寄せる、冬を見つめる楽章。
モーツアルト、 
俄かに軋みだす激情のフォルテ。突き抜けるユニゾン。

体が燃えている。呼吸が波打っている。
高熱に魘された頭の中を、通り過ぎる幻想の樹をもつ、顔の無い黒衣の男。かすれる奇声。わたしの意識は混濁して、肉体は溢れる汗を浴びながら、深い眠りに堕ちて。泥のように溶けて。・・・・・・・・

終止符の無い時間に、雪崩のように押し流されて、正気がこころの扉を開けると、水平な夕べの街灯の下、わたしは、かつて首を吊った男が住んでいた「モーツアルト」という名の洋館の廃屋を、眺めて立っていた。
だが、わたしは穏やかだった。いや、むしろ高鳴る鼓動に歓喜していた。モーツアルトの荘厳なレクイエムの旋律が、私の胸を熱くおおっていたからだ。


自由詩 モーツアルト Copyright 前田ふむふむ 2006-03-11 15:49:34
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