【批評ギルド】『早朝』 桐原 真
Monk



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> 右半身と左半身がずれてしまわないように
> そっと ちからをこめて歩く

南斗水鳥拳でも喰らわないかぎりそんなことはありえないわけだが、
あんまり嘘っぽくなくて逆にリアルな手応えがある。そういう感覚
を俺も知っている、と思う。ああそんな感じ、ずれないように絶妙
な力加減を保つ術について考えてしまうようなことは全く嘘っぽく
ない。

だが

> こんなにも
> 泣きたいの は、

は嘘っぽいと思う。そういう展開もありだね、とは思うが「ありだ
ね」なんて余裕で思えるということは他人事であって、そもそもな
んで泣きたいの?お腹痛いの?朝から、てか眠くない?って思うよ
うな感性の欠片もない俺が批評しますよ、と。
悪い夢でも見たのかなと思うけど、泣きたくなるくらい悪い夢って
いうのは俺は知らなくて、そんな夢見たって話も聞いたことあるけ
ど、いやちがう、聞いてはいない。文章で読んだ。そんなことを書
いてる文章は読んだ。だからはっきり言ってしまえば文章にしてし
まったために嘘っぽくなってしまった。
これは作者が悪いのではなくて、文章にするとだいたい嘘っぽく
なってしまう。事実や現象、状況を書いている分にはそうではない
が、考え方、感情を文章にするとそうなってしまう。会って目の前
で話を聞かされるのであればもう少しマシだ。相手の姿、表情、声
の抑揚などが伝わるから、というのが一つ。そして声として伝わる
言葉は聞く側と話す側が概ねイーブンの立場にいる。

イーブンとは。
文章ってのは読む人は余裕ですよ。さぁ読むかねと姿勢作って読む
わけだし、一回読んでわからなければもう一回読めばいいし、ひと
つひとつじっくり考える時間がある。Aという言葉からBという言葉
へ移る速度、タイミングは読者が自分で選べる。対面ならばそうも
いかない。相手のペースで話は進むからね。
だから思考、感情などの形のないものは断定しにくい。「泣きた
い」という言葉には人それぞれの「泣きたい」があり、疑えば簡単
に「それは違う。それは『泣きたい』ではない。少なくとも俺と
は」と言ってしまうことができる。読み手にはそういう余裕がある。

じゃあなぜ右半身と左半身の話が嘘っぽくないかと言えば、それは
感情や感覚のようでいて実は現象だからだ。事実だからだ。加えて、
表現がおもしろいので読者を引き込んで余裕を奪える。「俺の『右
半身と左半身のずれ方』とはちがう」って言う奴はあんまりいない。
なるほど、よくわかりました。

さっさと作品の中に行けよという感じだが、結局のところ作品に描
かれているのは「俺の世界」であって、別に他者の介入を欲してる
ものでもなく、ただ俺の世界がそうであった、そうであったのだと
いうことである。感性の世界を描いて、閲覧させる作品だ。俺とし
ては閲覧させるという言葉を使うが、ただ在ったものを描きあげた
作品という言い方でもいい。どちらにせよ、読者はそれを閲覧する
ところまでできっとその世界に入り込んでいく作品ではない。入り
込んでいった人はかなり強引ですが周りからは意外と信頼されグ
ループを引っ張っていく力のあるタイプです、ラッキーカラーは群
青色。
なので最初にも書いたが他人事なので読者は余裕しゃくしゃくなの
で、なかなか大変っすわ。長々書いといて大変っすわて。でも大変。
つけいる隙を与えず、かつ離さない。つかずはなれず。


まぁでも意地悪なことをいう読者はほっとく、ってのが健全な回答
かもしれない。(書いててちょっと意地悪な気がしてきた)



散文(批評随筆小説等) 【批評ギルド】『早朝』 桐原 真 Copyright Monk 2006-03-07 20:48:53
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