冬の動物園——デッサン
前田ふむふむ

真冬の動物園をゆくと、不思議な光景に遭遇する。
例えば、インド象が、真剣に雪を、おいしそうに競って食べているのである。彼は、はたして象なのだろうか。生きている象は、熱帯のサバンナの赤い夕陽を背に咆哮しているだろう。ならば、如何なる生き物なのだろうか。例えば、豹たちは冬の光の中で、夜行性の老人になり、便を垂れ流しにして恍惚としている。すでに、体内で得体の知れない液体が発酵しているのか。あれでは、中身が腐っている剥製だ。彼ら動物たちは、餌を自ら獲得する先鋭な野生はすでに無く、弱々しい呻き声をあげて、決められた時間に病院食のように餌を与えられる廃人のようだ。それは同時に、古代の奴婢以上に厳しく管理されているが、檻のなかでは、脱走以外には、あらゆる自由が叶えられる選ばれた不思議な生き物だ。子供たちは喜んで眺めているが、もしかすると、彼らは幽霊なのかもしれない。熱帯の大地で繰り広げられる、たくましく燃えるような生命の闘争、その物語を語る言葉を遥か緑の彼方へ、すべて棄て去って来た幽霊の群がショーウインドの季節はずれのドレスのように飾られているのだ。
だが、夜、一人でテレビを見ていると、動物の弱々しい呻き声を聞くことがある。何処から聞こえるのか。テレビの中では中年男が気難しそうに話しているだけである。彼も、また多くの視聴者に見られるテレビの檻にいれられている不思議な生き物だと感じながら、テレビを消すと、黒い画面に映るやつれた顔から動物の弱々しい呻き声を発していることに気付く。それが自分であることに気付く。ある時、孤独な時間に、自分の断片をみて、自分が何者であるかを気付くことがあるのだ。親しんだ都会の片隅を、帰宅を急ぐひとたちの中で、動物の呻き声を聞いて、愕然とするひとがいるだろう。だが、思考を甘受させてくれる余裕を与えずに人間社会は、急ぎ足で進んでゆくのである。そして、すぐに忘れ去り、神々の王国の時間を過ごすのである。いつか、ふたたび、一人孤独の部屋で、怪しげに去勢された動物に変身して、自分の声に恐怖を覚えるまで。


自由詩 冬の動物園——デッサン Copyright 前田ふむふむ 2006-03-04 23:35:29
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