乱丁だらけの古本屋
蒸発王


長年この商売を続けていると
たまぁに
人が本になる瞬間を見るんです
ちょっと
作り話じゃありませんよ
お客さんにも覚えはあるでしょう
何もあたしの処みたいな古本屋じゃなくても良い
本屋や図書館で
あてもなく本棚の間を歩いている時
ふ と自分が世界の何処にいるか判らなくなる
まぁ
たいがい人と本の堺を越えたりはしませんがね

あの日もね
こんな雪の日だった
あたしはまだほんの青二才で
死にたがりの友人が一人いた
あいつは詩人でね
自分には才能が無いって言いながらも
何よりも自分の才能を恐れて
書く事しかできず
死にたがってた
若い詩人でしたよ
そいつと本屋に行ったんです
何でも初めての詩集が出たとかで
それを買うために
初版も少なかったから
街で一番大きな本屋にね

まるで思念の森のようでしたよ
幾億もの文字が空想が
本という箱庭に封じられていた
整然と配された空間なのに
何故か
文字列の隙間から零れた
無機の激情が
胞子のように浮遊している
生々しい思念の匂いがする


その真中に立っていると
それだけでもう
酔っ払ってしまいそうで
気がつくとあいつとはぐれていました


やっとあいつを見つけた時に



あてられて
しまったのでしょうね

遠目でしたけど確かにね
あいつは消えてしまったんです
跡形も無く
一冊の本だけ遺して


あいつが消えた処に落ちていたのは
あいつの初めての詩集でしたよ
開くと他のページは何とも無いのに
最後のページだけ黒く塗りつぶされていて
それがあいつだったんですね

俗に言う『乱丁本』とは
そういうものなんですよ


気味が悪いでしょう
それで出版社は乱丁本を集めて燃やしてしまうんです
しかし
それでは可愛そうだ
あいつは誰にも燃やさせやしませんよ


だから
今回みたいに
乱丁本をあたしの処に持って来てくれると助かります
高く買い取りますよ


おやもうこんな時間ですか

長話をしてしまいましたが

どうぞ
これからも
ご贔屓に






自由詩 乱丁だらけの古本屋 Copyright 蒸発王 2006-03-03 15:46:22
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