闘牛士
山田せばすちゃん

月曜の夜のことだ
遅番の妻を待って
一人で留守番をしている
俺の部屋のドアを
誰かがノックした
のぞき窓の向こうに立っているのは
刺繍と金モールもあでやかに
何を考えたものだか
バラの花まで口にくわえた
まごうかたなき闘牛士じゃないか

チェーンをかけたまま
恐る恐るドアを開けると
闘牛士は恭しく俺にお辞儀をして
金を貸してほしいと言い出した

  私はスペインから日本に
  闘牛を教えにやってきた
  日系スペイン三世なのだけれど
  誤って狂牛病の牛に
  角で傷をつけられてしまった
  きっと私も脳が萎縮して死ぬに違いない
  だが私も闘牛士だ
  誇り高き男だから
  死ぬのは怖くない
  怖くはないのだけれど
  せめて
  せめて故郷アンダルシアで死にたいのだ
  だから旅費を貸してほしい
  君が日本とスペインの国際友好親善に
  少しでも貢献しようという気持ちがあるのなら
  お願いだから
  少しお金を都合してくれはしないか

本当にスペイン人なのだろうか
どこからどう見てもその闘牛士は
日本人にしか見えないのだけれど

  だから私のおじいさんはハポンの人なのだ
  私はおじいさんの国にも闘牛があると聞いて
  はるばる壱岐という島まで出かけたのだが
  そこで行われていた闘牛は
  牛と牛の相撲だったのだ
  私は失望したよ、アミーゴ
  その挙句にいまや狂牛病で死にかけているのさ
  アミーゴ、信じてほしい
  このケープと刀にかけて
  アンダルシアからお金を送るよ

闘牛士は腰に下げた剣を抜き
携えた赤いケープを軽やかに振って
オレ!
オレ!
マンションの廊下で闘牛の身振りを始める

本当にスペイン人なのだろうか
あのフラメンコは歌えますか?
お安い御用だと闘牛士は
ポケットからカスタネットを取り出して
歌いだし始めたのだけれど
どうしてもそれは
西郷輝彦の歌によく似ているのだった

オレ!
オレ!

わかりましたわかりました貸します貸します
一万円でいいですか?
足りなかったらよそ行ってください
俺は財布から一万円札を抜き出して
半開きのドア越しに闘牛士に手渡した

そういえばまだ
俺はあなたの名前を聞いていませんでした
失礼ですが、お金を貸すんだ
名前を教えてもらってもいいでしょう

  ありがとう、アミーゴ
  君の事は死ぬまで忘れない
  私の名前?
  私の名前はだな
  アントニオ、というのだ
  アントニオといっても猪木じゃないぞ、アミーゴ
  私の名前は
  アントニオ・カルロス・ヨセ・メンドーダ
  またどこかであおう、アディオス!

闘牛士はケープをなびかせながら
エレベーターホールに消えていった

妻が帰ってきても
おそらくは信じてはくれないだろう
だが俺の財布から1万円は確かに消えている
一週間分の昼飯代だったのだが

そういえばさっき見たニュースショーで
今日は牛丼最後の日です、と
あの闘牛士によく似たニュースキャスターが
確かに喋っていたっけ


自由詩 闘牛士 Copyright 山田せばすちゃん 2004-02-03 00:14:33
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