昔の駄文「詩の人称について」
佐々宝砂

 私はもともとマンガが書きたかったヒトなんだけれど、絵がぜんぜん描けないのでやめてしまった。しかたないので小説を書こうとしたけどうまく行かない。どうしてうまく行かないかとゆーと、10枚くらい書いたところで息切れがしてくるからである。しかしそれでも小説をうまく書けるようになりたかったので、中島梓(笑)の『小説道場』なんぞを愛読していた。いまを去ること十数年以上も前のことである。その『小説道場』で、私は生まれてはじめて、小説の視点という問題、小説の視点は通常固定されているものだということを知ったのであった。

 一方、当時の私は倉橋由美子に耽溺していた。崇拝していたと言ってもよろし。それだもので、『小説道場』で続けられていた小説の視点と人称の話に倉橋由美子の名前が出てきたときは、かなり驚いたし嬉しかった。いまはもう『小説道場』が手元にないので正確な文章を引けないのだけれど、中島梓は確かこんなことを書いていた(かなりうろ覚えである)。

「人称には一人称と三人称がある。二人称もあるにはあるが、それを使って成功した例は倉橋由美子くらいしか知らない。」

 10枚で息切れするくせに己の文才を疑わない小生意気な高校生であった私が、これを読んで「それじゃ二人称で書いたれ」と思わなかったはずがない。しかし、それまで通常の小説は視点が固定されてるということすら知らなかった私である。うまく書けるはずがなかった。なぜうまく書けなかったか? それは、二人称で書かれた文章の視点がいったいどこにあるのか、当時の私がまるで理解していなかったからである(今だってそんなに深く理解してるわけじゃないけどよ)。

 ちょっと考えてほしいのだけれども、日本語で「あなたは悲しい」という文章は成立するだろうか? 少なくとも「彼は悲しい」という言い方は成立しない、あるいは日本語らしくない、と金田一春彦は述べている(『日本語』下巻、岩波新書)。語り手である「私」は「彼」の内面を本当に理解することはできないから、こういう場合には「彼は悲しそうだ」とか「彼は悲しいらしい」とか言っておいた方が日本語らしい表現なのだと言う。しかし、それはあくまで日本語らしさという観点から見た場合のことであって、日本語で「彼は悲しい」式の表現が全く許されないということではない。小説では許される表現だと思うし、実際、翻訳調の小説の中ではよく見られる。

 しかし、一人称小説の中で「彼は悲しい」を使うことはできない。一人称小説の場合、視点は必ず「私」にあるからだ。「彼」の内面を知り得ない「私」は、「彼は悲しい」と断言できないのである。また、三人称の小説であっても、視点がある一人の登場人物に固定されている場合、その登場人物以外には「彼は悲しい」が使えない。それではいったいどのような場合に「彼は悲しい」が許されるのだろうか? それは、小説の視点が「彼」の内面も「私」の内面も知っている視点、すなわち「神の視点」である場合だ。そして、二人称の視点も、おそらくはこの「神の視点」なのである。

 と、ここらへんまでは高校生の私もうすうすは考えたのだが、それ以上進めなかった。私は、書き手であるこの私、この私こそが神であると考えてしまったのだ。これはたぶん神林長平のせいである。神林長平の「言葉使い師」という小説、これは二人称で書かれているのだけれど、「君はマリオネット。私があやつる。」という文章で終わっている。だが、「作中の私」イコール「作者である神林長平」と考えた私は、やはりドアホである。二人称小説というものは、そんな単純な図式で理解できるものではなかったのだ。

 「作中の視点」イコール「作者の視点」という意識のもとに書かれた二人称小説は、一人称を省いて書かれた一人称小説に過ぎない。本当のところ、「神の視点」と「作者の視点」は別なものなのだ。二人称で書かれた創作の場合に限らず、「神の視点」を用いて創作するとき、作者の視線は作中の「神の視点」をも上回る大きな視野を持っていなくてはならない。しかし、よく考えてみれば、これは人称がなんであろうとも変わらずに言えることなのだった。一人称で書かれている場合すら「作中の私」イコール「現実の私」ではあり得ず、書き手としての私は「作中の私」を観察し理解し描写しなくてはならない、つまり、作者である私の視野は「作中の私」の視野を上回る大きなものでなくてはならない。

 しかし。しかし、である。それは、果たして小説以外の創作にも当てはまることなんだろうか。マンガの場合には当てはまる。映画にも当てはまる。しかし、詩は?

(2001.9.28.若干訂正)

蛇足。

二人称で書いてみたつもりの詩の例
「女王の片恋に関する11のソネット」
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=3684
「女王は生き血の風呂から手を伸ばし」
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=24392

うーむ私は女王サマを使わんと二人称で書けないのだろーか。
今度はがんばって他の題材で書いてみよう・・・


散文(批評随筆小説等) 昔の駄文「詩の人称について」 Copyright 佐々宝砂 2005-11-12 16:53:20
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