猫を轢く
チアーヌ

そういえば、
田舎の道路ではよく猫が死んでました。
タヌキも死んでました。(彼氏が轢いた。良く出るんだこれが、夜。)
犬も。
おばあちゃんたちは良く、「畜生は後戻りできないから轢かれる」と言っていました。

中学生の頃、学校帰りに、国道の道端で瀕死の猫を見つけました。わたしはひとりでした。とりあえず側の畑に運び、苦しそうに息を吐く、白くて小さな猫を、じっと見つめていました。死ぬまで。
死ぬことはなんとなくわかっていたのだと思います。ただなんとなく、わたしは、誰かが死ぬまで見ていてあげなくちゃいけないという気がしていたような気がします。
ずいぶん昔のことなので、そのときの感情は上手く思い出せません。
しばらくすると猫は死んで、わたしは畑のサトイモの葉の茂みの中に猫を隠し、えーんえーん泣きながら家に走って帰りました。今思うと中学生なのに子供っぽいですね。
家に帰ると、すぐに母親に報告しました。
わたしはどんなことでも母親に報告する素直な子供だったのです。
すると母親は、
「そうか。それは良いことをしたね。猫もうれしかったと思うよ。でもね、チアーヌちゃんは変なところで優しいから、その猫はここまでついてきてしまったかもしれない。お母さんが猫に帰りなさいといってあげるから、もうその猫のことは忘れなさい」
わたしはなんとなく安心して、ご飯を食べてお風呂に入って寝たのでした。
次の日には、もうそんなに猫のことで悲しい気持ちにはなりませんでした。
わたしの母親がいうには、寂しい霊というのは、「悲しい、悲しい」と思ってくれる優しい人についてくるというのです。だから変に道端で死んでいるものに情をかけすぎてはいけないと言っていました。

ところで、わたしも猫を轢いたことがあります。20半ばで、仕事をしていて、通勤に車を使っていた頃のことでした。
わりと広い道路でしたが、住宅街の中でした。仕事帰りで、夜の11時ごろでした。
高速道路ではないので、照明なんかなくて、暗い道でした。
そんな暗闇の中を、確か50キロ程度で走行していたと思います。すると、ひょいと左側から、白いものが飛び出してきたのでした。
猫だ!とすぐに思いました。でも間に合いませんでした。
ドン、と嫌な衝撃音がして、これは轢いたな、と思いました。後ろにも前にも車はいませんでしたので、わたしはすぐに車を止め、徒歩で引き返しました。
真正面で思いっきり轢いてしまったらしく、猫は即死状態のようで、道路にでろんと横たわっていました。
猫は白くてちょっとぶちが入った毛並みの良いかわいい猫で、首輪がついていました。
飼い猫でした。
わたしは、とりあえず道路の脇に猫を寄せると、混乱した頭でしばらくそこで逡巡したあげく、半べそをかいて車に乗り込み、なんと職場に戻りました。
職場にはまだたくさんの同僚が残っていましたし、その頃わたしは一度目の結婚をしていたのですが、その頃夫との関係は壊滅的な状態で(そのあとしばらくして結局離婚することになってしまった。)、しかも、家が結構遠かったのです。
職場に戻ると、やはりまだ人が残っていました。けれど、もう大体のところは終っていて、みんな雑談していました。なので、わたしは仲の良い同僚にこっそりと「猫を轢いちゃった」と打ち明けました。
「えっマジで?どこで?」
「●●の辺りで・・・」
「すぐ近くじゃん。じゃ、みんなで行こうか」
なんだか大げさなことになってしまい恐縮しましたが、何人かでまたその場所へ戻りました。猫はやはりすっかり死んでいました。
同僚たちはてきぱきと仕事をしてくれました。
「首輪に飼い主の名前とかないね。このへんの家の飼い猫なんだろうけど」
「こういう場合連絡はどこだったかな。とりあえず警察に電話してみるよ」
同僚が最寄の交番に連絡をしてくれました。すると、警察のほうで片付けるので脇に置いててくれという話でした。
飼い主のことが気になり、聞いてもらうと、もしもそういう人が現れたら連絡しますとのことでした。
結構あっさりしたものなのでした。
その間、結構時間があったと思うのですが、わたしはぼーっとしていました。
やはりショックだったのだと思います。
みんなにお礼をいって、そこで解散しました。

そのあと、結局、何の連絡もありませんでした。もしかすると猫の飼い主はどこにも連絡せず、家でひたすら猫の帰りを待っているのかもしれないと思うと、しばらく申し訳ない気持ちがしましたが、自分が生きていくだけで精一杯な日々だったせいか、次第に忘れてしまいました。ひどいですね。わたし。

ということを、雑談スレッドの書き込みで思い出しました。
記憶って不思議だな。


散文(批評随筆小説等) 猫を轢く Copyright チアーヌ 2005-11-04 11:30:25
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