無人列島
岡部淳太郎

何かが焦げたような臭いがする
最初に気づいたのは
たったひとりの 男だった
どこにでもいるようでいて
どこにもいないような
若いひとりの 男だった
男は狂っていたのだろう
その臭いに鼻をひくつかせると
いっさんに駈け出して
都市を流れる泥の川に
飛びこんだ
そして流されるまま
海の中へ 消えた

男の発作のような行為を
見ていた人々は
はじめは呆気にとられ
次には笑い出した
翌日には新聞の片隅に
ささやかな事件として報道された
だが人々は
いつまでも笑ってはいられなかった
次に気づいたのは
数日後に結婚式を控えた女だった
もちろん彼女は
ただのひとりであるはずがなかった
それなのに彼女は
婚約者と一緒に赤信号の前でたたずんでいた時
いきなり眼を見開いて
髪ふり乱し 手足をばたつかせて
狂女のように走り出し
泥の川に身を投げた
そして彼女も
海の中に 消えた

この列島の 至る所で
この現象が起こっていた
ある都市では
電車を待っていたり
買物をしていたり
酒を飲んでいたり
地上的な労働をしていたり
それぞれの場所で別々のことをしていた人々が
何かが焦げたような臭いがする
そう言い残して走り出し
先を争って泥の川へと
飛びこんでいった
またある海辺に住む老人は
海鵜が声にならない叫びを上げると
もう後戻り出来ない
と謎のような言葉を残して
泥の川を経由せずに
直接海の中へと入っていった
もはや都市の人口は
日を追うごとに後ろ向きの鼠のように
減少し
列島は
新しい夜明けを迎えつつあった

何かが焦げたような臭いがする
この言葉は
残された人々にとって難問となった
彼等は来る日も来る日も
泥の川に 海に
身を委ねる人をとどめることが出来ずに
この難問に取り組んだ
だが狂ってみなければこの謎は解けないのだ
彼等もそれにうすうす感づいていながら
認めるのを恐れていた
ある制服警官などは
泥の川に架かる橋の上から
海へと流されてゆく人々を眺めて
恐怖の表情を浮かべたかと思うと
次の瞬間には
鼻を指先でつまんで
自らも橋の上から泥の川へと
跳躍した
そして列島は
人の在庫が底をつきはじめ
新しい朝がその上に広がろうとしていた

やがて 朝
この列島の最後の群集が
泥の川に身を投げた
彼等は泥水にもまれながらも
まだ呼吸を繰り返していた
だがそれも海にたどりつくと同時に絶えるだろう
そして彼等の瞳はその瞬間に
限りない歓喜に輝くだろう
もはや都市にも 村にも
人はなく
うち捨てられた家畜が
所在なげに歩き回るだけで
列島はまったくの無人と化した
ひとりの夢を助ける力も
それをうち砕く力も
人とともに海の中に消えた
何かが焦げたような臭いがする
彼等はそう言い残して去ったが
その臭いは彼等の細胞から発していたのだ
焦げた細胞の命令に従って
彼等は海へと回帰した
そして宇宙のある座標から
巨大隕石がやってきて
この列島の火口をえぐった
山は火を噴き上げ
地は揺らいだ
海は
一億人を呑みこんで
高らかに 笑った





自由詩 無人列島 Copyright 岡部淳太郎 2005-10-15 14:39:38
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